2010年4月20日火曜日

〜 【阿】を保つ 〜

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心それ自体には、特定の色形がない。


空(くう)なる本質を持つ心も、


あらゆる存在を映し出す水晶のように、


心自体には何の実体もなく、


またいかなる場所にも存在するとは言えない。


水晶と、それ自体に映し出される対象の色形は


切り離す事ができなく一体となっているからだ。


 — ナーガルージュナ —


タルタン・トゥルク著 「夢ヨーガ 」
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photo by App [Backgrounds]






阿吽、という言葉があります。




宇宙の始まりを表す 【 阿 】 あ、


宇宙の終わりを表す 【 吽 】 うん、






2対の仁王像、2対の狛犬など、


その領域を守護する存在は、


対をなして【阿】と【吽】の口の形をしています。






阿吽、このシンプルな言葉で、


宇宙の始まりと終わりを現す。




その響きの余韻と奥深さに、しばし言葉を失くします。






あほう、という言葉もあります。


今は「阿呆」と表すことが多いのですが、


私が幼い頃、父から聞いた印象深い話として、


「あほうとは、【阿】を【保つ】人のことだ」


と聞いた記憶があります。




【阿】とは、


始まりであり、


すべてに対して開いている状態。




あらゆる生命や事象に、誰よりも「開いている」人は、


しばしば「呆けている」状態に見られていたのかもしれません。






そして、


【阿吽】


この言葉を素晴らしく現している歌があります。




ボーイズソプラノグループ、Libera が歌う、


【    I am the day    】という歌です。




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〜 I am the day    〜   


words & Music by Rpbert Prizeman



I am the day, soon to be born
I am the light before the morning

I am the night, that will be dawn
I am the end and the beginning

I am the alpha and omega
The night and day, the first and last

Illuminosa, immortalis
Sancta gloriosa
Illuminosa, immortalis
Sancta gloriosa
In aeterna

I am the life, soon to begin
I am the new hope in the morning

I am the darkness, soon to be light
I am the rising and the falling




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の歌を初めて聴いたとき、


雷に打たれたようになりました。




と同時に、この歌詞になにかしら救われたような心持ちになったのです。






付属の日本訳とは言葉が違いますが、


下記、私のとらえた感覚に近い言葉を綴ります。


未熟ですが、イメージとして分かち合えたらと思います。










わたしは、新しい朝を迎えようとする「日」そのものである。


わたしは、こぼれ落ちる朝の「光」そのものである。


わたしは、東の空からとばりを下ろさんとする「夜」そのものである。


そしてわたしは、


すべての「始まり」であり「終わり」、そのものである。








「わたし」という自我の認識から、


「朝」であり「光」であり、「夜」であり。


そして「始まり」であり「終わり」であるということ。




収縮と拡散、


自己の認識から、空性としてのまなざしにうつる景色が、


何度も何度も、心を打ちます。






わたしは「夜」であり「昼」であり、「最初」であり「最後」である。






まずこの線上に立つ為には、




【阿吽】の【阿】であらねばなりません。




【阿】として、すべてに開いた状態であってはじめて、


【吽】に帰結していくのです。






【阿】を保つ人でありたいと思います。


闇でさえも、「わたし」であると開いた自分でありたいのです。


その闇の向こう側から再び生まれ出づる、「その日」もまた


わたしでありたいと思うのです。







どこまでも開いた状態である「わたし」は、


一切は、怖れることなど何もなく、


ただただ、あるがままに見え、聞こえ、感じられるのだと思います。






I am the end and the beginning




私たちは、「始まり」であり「終わり」である。




自分が感じる「世界」のすべては、




すみずみまで、【阿吽】 である。








まずは、【阿】そのものでありたいと、強く強く、思います。














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◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆

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