2010年8月30日月曜日

~ Iridescent Clouds 五色の雲 ~











photo by Ian Parker




昨日は、衣類を整理して、1日中お洗濯をしていましたら、


偶然にも、かわいらしい「彩雲」を発見!


ニュースや写真で見たことがあるのですが、

自分のベランダの上で、その輝きを見られるなんて、と大興奮。

カメラのバッテリーもなく、あぁこれはその眼でみなさい、ということかと撮影はあきらめ。


洗濯物がたなびく隙間から、

薄く濃く、光を放つ五色の雲をみていました。


その昔は、この瑞雲があらわれると年号まで変えたといわれています。

よくある気象現象だと言われてはさみしいのですが、

日頃から、昼から空を見上げていないとなかなか出逢えませんね。


阿弥陀如来さまが五色の雲に乗り、

菩薩さまたちを従えて下界へ・・・とう絵画にも、

五色の雲が描かれているそうです。



仏画で、とても衝撃をうけたのが、

こちらの国宝・山越阿弥陀図 (京都・永観堂禅林寺)
















お山の向こうから、圧倒的に大きな仏さまが、

こちらを見てくださっている、の図。


小学生のころでしょうか、ものすごく衝撃を受け、

いまでも脳裏に焼き付いています。


そしてものすごく、納得したのを覚えています。

あぁ、そうだな、と。

そうだよね、そうなんだよね・・というような。


お天道さまが見ている、というのも、

こちらの世界観のほうが近い気がします。

















こちらの本は、さらっと立ち読みで終わらせてしまったのですが、

やってみようと思い、挑戦。


けれど、仕事場に行ったり、

他の人の決定指示に従う環境のなかにいると、

「不平不満」をうっかり口にしてしまう自分がいます。

(あ~ぁ、疲れたな・・という類のものが)


ごく限られた人としか触れ合わず、お山にこもって21日間・・・

そんなことは難しい都会でこそ、

このチャレンジがいかに過酷で、だからこそ重要かを思い知らされます。


自分の言霊に意識をむけると、

うっかり不平を口にする前に止めた自分の内側に、

「不平不満」を思念として発した自分を、強く感じられるようになります。


最終的に、不平不満を思念としてさえ生じさせない状態、

あらゆるものが「空」であり、

生じた事象に思念や感情を揺り動かされずに、存在できるところへたどりつく、

「目覚め」た状態、

悟りと言われる状態、

空性の直接体験、

といった世界に自分を置くことが目標なのだと思います。




朝、歩いているときに、


「不平不満を言うことは、

神さまや仏さまというような存在が用意してくれた世界に、

ケチをつけていることなんだ」



と、はたと気付きました。




なんだか猛烈に恥ずかしくなって、


「せっかくご用意くださった綺麗な世界に、ケチをつけてごめんなさい!」と


ものすごくものすごく、思いました。




誰かの言葉、態度、出来事に、不平不満をいうことは、

形作る大いなる存在の計らいに、ケチをつけることになる。


あぁ、もったいない。


「間違ってカレーが来ても喜べる人は必ず幸せになる」という本を見かけるたびに、

「そんなの、私なら絶対言うな!取り替えてもらうな!いやだって言うな!」と

毎回思っていたのですが。


すべての出来事を、「計らい」だと思って受けとめられるかにかかっている、

ということをなのだと改めて思います。



英語で、彩雲はIridescent Clouds、玉ムシ色の雲、というそうです。


気付かないだけで、

今日もどこかで、

たくさんの人の上に、

五色の雲が光っては消えているはずです。


みなさまの頭上にも、

五色の雲が美しくたなびいていますように。



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2010年8月23日月曜日

~ 本とCDを手にする、ということ ~






















昨日はHMV 渋谷店が閉店しました。

渋谷の喧騒が苦手なのですが、

帰り道、クラシックコーナーを最後にのぞきたくて参戦。


お店を見上げて、携帯で最後の姿を映す人で道路はいっぱい。

店内も、最後のお祭りということで、人がいっぱい。



南米の作曲家、ヒナステラのCDが安くなっていたので購入。

今週ライブに行く、ア・フィレッタのCDは置いていませんでした。


名残を惜しむ人たち。


けれどきっとすぐに、

無くなってしまったことに慣れてしまう街なのだろうと思います。



お昼間は、編集者の方と恵比寿でお茶。


いろいろな話から、今の日本の出版業界について。


本は、一度にたくさん印刷をしてコストを抑え、

それをとりあえず本屋さんに納めてお金をもらい、

そのお金を運転資金として別の本を作り、

最初の本が返品されてきたら、本屋さんにお金を返さなければいけない。


とっても自転車操業なのですね。


そして、会社にもよるかと思いますが、

半年もたたない間に、本が売れる見込みなし、と判断されたら、

保持していることへの税金や、倉庫のコストを踏まえて、

断裁、されるそうです。


その方は、それを「死刑執行」とおっしゃいました。


断裁し、わずか何十冊だけになったときに、

書評で評判が高まり、やむを得ず再印刷・・という馬鹿らしいこともあるとのこと。


ユニクロの柳井さんとかだったら、企業のトップの方だったら、

この流れをどんなふうにして改善するだろう・・と思いました。


本の取り扱い寿命が、そんなに短いスパーンで終わるなんて、

本が好きな人間としては、聞いていてちょっと泣きました。


本が売れない時代。

CDが売れない時代。


けれど私は、今まで通り本を買い、CDも買っています。


そこに物体があることは、3Dの立体として感知し、味わう幅がひろがります。


売り手のニーズと、買い手のニーズが合わないことが問題で、

どちらもお互いを求めているのに変わりはないはず。


本とCD。


その行く末を考えさせられる1日でした。


文字も音も、

本来はとても神聖なもの。


今はとても手軽に、コンビニエントに流れていく方向で

淘汰されているようにみえますが、

実は本当は、

その神聖さに立ち返ることを問われているのではないでしょうか。


消費するのではなく、

音や文字があり、

ひとつの作品として浮かびあがってくることに、

神聖さを宿すことができるのは、

作り手だけでは難しいのです。


受け手がそれをどう扱うか。


泥も、受け手が扱えば、聖なるものに変わるのです。



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2010年8月16日月曜日

~ 海の友へ ~

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この宇宙を創造し、形作り、

動かしている目に見えない力、

それを神と呼んでもいいし、

大いなる自己と呼んでもいい。

その全能なるものに対して、

自分を捧げつくすことが音楽だ。

ラビ・シャンカール by 地球交響曲第6番

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今日は、恵比寿にある東京都写真美術館で上映中の、

地球交響曲を観に行ってきました。


今回は、新しい第7番ではなく、

ずっとずっと観たいと思っていた、第6番を観てきました。

第6番は「虚空の音」がテーマ。



音とは何か。

命とは何か。



原始的な音色を奏でるアーティストたち、

メインとなるインタビューの出演者、

誇張することなく、

過度に感傷を誘うこともなく、


それぞれのまなざしから観た、「音」という命が、

いかに美しいかを、静かに紡いでいる映画です。


ラビィ・シャンカールさんの神との対話のような無我の境地、


「自然と溶けあい、音楽に溶け合って透明な存在になりたい」と話す、

ピアニストのケリー・ヨルトさん。


チェロを愛し、海を愛し、

クジラの奏でる歌に身も心も捧げて、その愛を知らしめようとするロジャー・ペインさん。


地球という星が奏でる音は命そのものであると、

私たちに訴えかけます。


ディジュリドゥのKNOBさんの演奏は、その情景とともに素晴らしく、

音色の中に、

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 と、

般若心経の真言を唱えていらっしゃり。


雲立ち込める火山口の上で演奏される姿は、

本当に圧巻でした。



ずっと龍村仁監督もいらっしゃり、

サインをいただけるとのことで、甘えてパンフレットにサインをしていただきました。



< 海の友へ >




金色のペンでそう書かれた龍村監督。


しっかりと目を合わせて、握手までしてくださりました。


その瞳に宿る光が、

お年を重ねられた手からでるエネルギーが、

なんだか大きく懐かしく。


まるで鎮守のご神木の精霊に出会ったような気分になりました。


< 海の友へ >


そう呼びかけてくださることの意味を、

改めて考えたいと思う夜です。


写真は、監督のサイン入りパンフレット。


仁、という文字が美しい曲線を描き、

< 海の友へ >につながっていきます。


それはまるで、丸い地球のラインのようなたおやかさです。



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2010年8月8日日曜日

~ 自分の中に眠るバランスの中心を探して ~

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浄化を助けるものとして

苦痛を受け入れること、

霊的な書物を研究すること、

至高の存在に身をゆだねることが、

実行のヨーガである。

「ヨーガスートラ/インテグラルヨーガ」
スワミ・サッチダーナンダ著

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昨日は、目黒のSUN&MOON ヨガスタジオで行われた、

Lauren Peterson(ローレン・パターソン)さんの

「中心を見つけましょう:両手、両足、両腕によるバランス」

というワークショップに参加しました。



世界的なカリスマであり、ヨガモデルとしてその美しいアーサナを世に示してくださる一人です。


私はアシュタンガヨガを学んでいはいないのですが、

ずっとずっと憧れの方でしたので、

今回、その実践を目の当たりにすることができ、

ただただ感動。



「腕の大きな筋肉も必要だけれど、

大切なことは、バンダを引き上げて、自分のセンターを見つけて、

手で「立つ」ことよ」



丁寧に、すべてに意識を行き渡らせながらアーサナが続きます。


「足で立ってみて。そのときの自分のバランスを感じてみて。

前後左右に、重心を動かして、自分の足で立つ中心を感じてみて」


「そのまま手を伸ばして、天井を押してみて」


「それが、ハンドバランスの感覚です。足で立つように、手で立つの」












腕で全体のバランスをとらえながら、

ウディヤナ・バンダ(腹部の引き締め・引き上げ)で

ゆっくりと足を上げていきます。














ゆっくり、静かに・・












肩と骨盤の位置が素晴らしく、

どこにも余分な力が入っておらず、

静かな調和に満ちています。

このままハンドバランスの完璧な倒立へ。









あまりの美しさ。

トライすることよりも、どのように動いているかを見たくて、

呼吸も忘れて見入ってしまいます。



















あぁ・・私が感銘を受けたポーズが今目の前に・・・。


このポーズをされる方はたくさんいらっしゃいますが、

なぜこんなにも静謐な世界になるのだろう、と見入ってしまいます。



「30歳くらいからヨガをはじめて20年。

最初からこんなことができるわけじゃないのよ。

継続的に修練していくことが大事です」



未熟な私に、ダウンドックのポーズのときは、

腰をぐっと押し、もっと首を緩めて・・とアジャストしてくださり、


最後のシャバアーサナで横たわっているときも、

ぐっと肩を押し、首を緩め、こめかみをマッサージしてくださり、

本当に感動。


「この人のように動いてみたい」と思う方から、

直接エネルギーをいただけて、本当に感動です。



Lauren Petersonさんは、カリフォルニアのマリブで教えていらっしゃいます。

素敵なHPはこちら。http://www.yogacompanion.com/



このHPの中にある、素晴らしい動画を最後に。



どうしてそのポーズから、「回って」しまえるのか・・・。


練習していると、自分の未熟さから「できない」と意識がブロックをしますが、

このように、「できて」いる方の動きを映像として見ると、

限界を設けているのは自分自身であることに気づかされます。



まだまだ自分の身体との対話が足りません。

彼女の持つ美しい質が、私の中にも育まれますように・・・。



   





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2010年8月6日金曜日

~ 美しい動き ~ 

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何かを得ようと手を伸ばしているときにも、

バランスを維持するためには、

「与えること」と「受け取ること」

「教えること」と「学ぶこと」

「抱きしめること」と「突き放すこと」が

同じようにできる必要がある。

【ボディワイズ】ジョゼフ・ヘラー&W・Aヘンキン著

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今日、自由が丘で美しいオルゴールを流しながら、

美しいパントマイムを演じている青年がいました。























優しいオルゴールの音色が、夕方の緑道によく似合い、

しばし立ち止まって見入っていました。


最初は、よくあるマイムかと思っていたのですが、

衣装のちょっとした部分、マスクもお客様からは目が見えないようにしている、とか、

心付けを入れるのが、小さな古い木のトランクのようなものだとか、

何かしらの物語が流れていて、

それがオルゴールの音色とともに、こちら側まであふれてきて、

思わず、涙が出そうになりました。



身体の微細な部分、

関節の一つ一つ、

右の肋骨、左の肋骨の自由度、

首と鎖骨を切り離して少しずつずらしていくさま、

股関節から下の重心軸の素晴らしさ、

ゆっくりと動く中で身体を後ろへそのまま倒し、また同じ速度で戻る様子、


小さな女の子がちょっかいをだすのを、

人形として変わらぬ速度で反応し、

ゆっくりと手を振り、お辞儀をする・・・・



もし私だったら、

おもわぬちょっかいが出されたら、

動きが速くなったり、意識の中に拒絶が表れそうなのですが、


彼は、それさえもひとつの物語として包んでいきます。


指先からは気がほとばしり、

彼はもっと早い音楽でいかようにも踊れる人なのだろうとため息がでます。


ゆっくり動くことの難しさ。


ゆっくり動くことの美しさ。


そこには、「動き」のすべてに意識を向け、

何一つ無意識に、無造作に動かされているものがない美しさがありました。



彼の動画を拝見すると、

また全く違う、「ゆるめる」という角度から自由に手足をなびかせ、

ゆるめることの止め、でリズムを刻む、

一見するとヒップホップのようですが、

コンテンポラリーとも違う、

すこし武道のような気配がしました。


動きで、詩を紡ぐ人です。

まだ若い方なので、このまま続けられたら、きっともっとすごいと思います。



なんにせよ、「解放」することができる人の強さと素晴らしさを、

教えていただいた時間です。



個人的には、

私の中にある、眠らせていた感覚が、

ざわざわと揺れ動いています。


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気づきをくださったのはこの方    u→璃途夢Nation さん。

どうもありがとう。

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2010年7月28日水曜日

~ 現実とは何か / 映画「INCEPTION」 ~



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夢は一般的な意味での幻ではない。

理性は夢を想像するのではなく、

実際に見るのだ。

リアリティ・トランサーフィン:2
ヴァジム・ゼランド著
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描いたテーマが、「完璧」と思える映画がまた一つ増えました。


 INCEPTION / インセプション 


先日公開されたばかりの、レオナルド・ディカプリオさん、渡辺謙さん主演の映画です。


この映画は、

夢を通して無防備になる潜在意識にもぐりこみ、

個人の中に眠る「アイデア」と総称する、

思考や感情をいかに操作していくか・・というテーマとなります。




「マトリックス」は、<目覚めよ> と呼びかけますが、

この映画もまた、別の角度から< 目覚めよ >と訴えてきます。


ベクトルの方向は違っても、出発点は同じところです。


「 現実とは、なにか」


この究極の問いに、それぞれの映画は物語をのせていきます。



リアリティ・トランサーフィンの内容に合致し、

ひどくシンクロニシティな内容なので目眩がするほどです。



リアリティ・トランサーフィンのなかでは、

「バリアント」と呼ぶ、

あらゆる可能性と、

過去、現在、未来のタイムラインを備え、

すべてのインスピレーションの塊である空間の存在を提唱しています。



自分が選択を重ねて具現化したひとつの現実から、

より本来の自分自身が選びたい現実を、選び取るための方法のひとつに、

「目覚める」というキーワードがあります。



この「目覚める」ためのトレーニングとして、

夢の中で「目覚める」・・明晰夢を推奨しています。



ただし、明晰夢の危険性として、

そちらの世界をより現実として選択したとき、戻ってこれなくなるというリスクを唱えています。



この部分のテーマを、とても見事に映像にした映画です。


脚本が素晴らしい・・!

映像も素晴らしい・・!

音楽も素晴らしい・・!


思い返せば、ここはこんなふうだったらもっとよかった、という箇所もありますが、

それ以上に、取り扱うテーマと、その根源的な意味合い、深さに、

ただただ「パーフェクト」とつぶやくばかりです。



明晰夢、

潜在意識の可能性、

具現化の速度、実現性、



そういったテーマに興味を覚え、取り組み、それらの本を読んだことがある方なら、

必ず何か、ヒントと気づきを・・ただ映画を見たという以上のものを、

受け取れるはずです。



もうすでに、こういった潜在意識へのダイビングは開発されているだろうし、

一昔前の自白剤などは、潜在意識を表出させて情報を引き出す手法ですし、

催眠療法なども、潜在意識にアプローチする手法です。


この映画が面白いのは、

他者が夢を「設計」し、「統率」し、「コントロール」することです。

深い深い意識の同調と、精神的な訓練を持てば、可能だと思います。


映画の中で、夢が「階層」となっているところも素晴らしい。

(2Fの部分は個人的に好きです)


夢に入るためのルール、夢の中のルール、それらがとても緻密であり、

こうして映画として具現化された瞬間、

それらはひとつの真実として私たちの潜在意識に波紋を広げます。




何が「現実」なのか。



いま、食べようとしているものも、

目にしているものも、

見えている人も、

あると思っている人も、

本当に「現実」かどうか。



普段、私たちは、目覚めているようで目覚めておらず、

かなりの感覚を遮断しながら生活しています。



あらゆる音・・周囲の人々のすべての会話、

あらゆる視覚・・120度ぐらい見える目がキャッチするあらゆる視覚データ

皮膚感覚、触覚、嗅覚、

それらがスイッチON、全開になってしまったら、

あまりの刺激と情報量に破壊されてしまいます。



見えているけれども見ていない、

脳はわずか3%しか動いていないということ。



瞑想をするとき、あらゆる音がより鋭敏に聞こえ、感覚が鋭くなり、広がる感じは、

潜在意識の自由度が少し上がり、

リミッターがほんの少し下がったのかもしれません。



今、見えてるのは「現実」か。

今、本当に「目覚めて」いるのか。



すべては「空」である、ということの能動的な側面、

「空」であるからこそ、制限なく、リミッターなく、潜在意識に不可能な実現性はない世界、


壁を突き抜け、

思考のみで具現化し、

他者のマインドも分け隔てなく見据えていける能力・・・。



過去の賢人たち・・「到った」人たちは、

この映画の世界観をなんなく共有し、体験しているのだと思います。



ありありとみるものは、

そこが夢であろうと、現実である。



わたしはいま、「目覚めて」いるでしょうか。


何を持って、「目覚めて」いると言えるでしょうか。








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2010年7月27日火曜日

~ 心不可得 ~



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  心不可得







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武術、武道、マーシャルアーツの内包する静的動作は、

ヨガのアーサナとなんら変わらない、

この両者はなにも変わらないな、と思います。



NHKの中国武術特集、見たいけれども見られなくて、

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010016455SA000/index.html

お試しを見て、改めて驚きます。


指一本で倒立している・・。

もっと鍛えなければ・・・。



少林寺拳法を3歳から学んでいたので、

改めて知識が増えた中で技や動作を見つめると、新たな驚きがあり、新鮮です。


達磨大師が禅を広めた嵩山少林寺。

インドより禅を広めにやってきた際、体力のない僧侶を鍛えるために、

易筋行、洗髄行を授けた・・とされています。


易筋行・・とはなんぞや。


むむむ。これは調べたい。

とりあえず月刊秘伝を探してみよう・・・。



インドの達磨大師・・ということで、ひらめいたのがカラリヤパッド。

インド南部に伝わる武術で、以前より興味がありました。


http://www.youtube.com/watch?v=4YmA46x7Xok


カラリヤパットをウィキで調べると・・・

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伝説によれば、達磨大師がインドからこの格闘技を中国に伝道し、
それが現在の少林拳になったと言われている[1]。

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あ・・・つながった。


禅   ⇒ 少林寺

禅   ⇒ インド

インド ⇒ ヨガ


なんだか、全然違うけれど、こんな感じでさくさくシナプスがつながっていく感じ。

マインドマップで書いたほうがピッタリきますね。



私の肘は極度の過伸展で、 一発芸で、

「・・ひじ折れたー!!」

とやると皆がわぁー!と引いてしまうほどに曲がり、いまだに筋力がないので、

きちんとチャトランガを行えるようにトレーニング中。



今までの学びが、等しくつながり、

これからの学びも同じくつながり、

そこから得られたものを如何とせん。


自利でなく、

利他のために、

それらの学びを捧げんとす。


過去心不可得

現在心不可得

未來心不可得


自利は利他であり、

利他は自利である。


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2010年6月27日日曜日

〜 風に抗わず 〜




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自分はここにいて、空を観ているというのではなく、


何もない空間と自分自身が一つになってしまうのである。


自分の存在は何もない空間そのものだと感じる。


大空の無限の次元と一体になるのである


ナムカイ・ノルブ著 「チベット密教の瞑想法


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photo by App [Backgrounds]










少し間が空いてしまいました。




いろいろと小さなことを積み重ね、毎日季節が変化する気配を感じます。




やはり、ささやかなことでも書き記すことで、


それがやがて薄く薄く積み重なり、


けれどもその地層は重ねるごとに、透明度を増し、


かざせば空の色も、注がれる光も、何も遮らずに向こうを見通せるような、


そのようなものを重ねて行きたいと思います。






昨夜は満月であり、地球による部分月食の日でありましたが、


雨模様で観ることができずじまい。




今日は夕刻、屋上に上がり、


遮るもののない空を見つめて座ってみました。




ゾクチェンの瞑想法にも、オーストラリアのアボリジニーに伝わる瞑想法にも、


青空を見つめる、という方法があります。




そんなことをぼんやり思いながら、


空を見るとも見ずに、見ます。




ちらちらと光が、右往左往するのをみ、


(昔、空におたまじゃくしがいると思っていました)




梅雨の低気圧の低い雲がたゆたい、


切れ間から青空がのぞき、


右から鱗状の雲が現れ、


目のようなものに見える雲が現れるのを見、




静かに目をつむります。




すぐそばの幹線道路の音、


鳥の声、


自転車のブレーキ、


近くの線路を通る電車の音、


聴くとはなしに聴きます。






なんだか、自分の呼吸が邪魔になってき、


深めの腹式呼吸に変えるも、


お腹を動かす作用が邪魔になってき、


楽に楽に、呼吸を呼吸とも思わず呼吸にならないか、などととらわれていきます。




そのとき、風がこちらに向かって来、


風が私の体温を奪う、と感じた瞬間。




風に「抗う」、「わたし」というものに気付き、


風が吹き付けるたび、


その風はこの身体を通り抜け、


風に抗う「身体」「わたし」を一緒に溶かしてゆこうと思います。




風と「身体」の境界線を感じている「わたし」を、


なんとかしたいと思います。




呼吸は、


最初の肺に対して横に広がる運動から、


次の腹部を前後に広げる運動もうっとうしく、


あぁそうだったと思い出したように、


背骨を沿わせて円を描くような運動に変えていきます。






それでも呼吸がうっとうしく、


何回かにいっぺんは呼吸を止め、


その静けさに漂います。




呼吸を止めることの肉体的な苦、


けれどもその間のなんともいえない楽、




幼い頃、呼吸をとめれば心臓も止まると思い、


何度も息を止めながら心臓を押さえてはひどく不思議に思う自分を浮かべていました。






まだ、風が私の熱を奪うと信じてやまない自分に気付き、


風の本質が何であるかを観えていない自分がいます。




この殻を脱ぎ、


そしてこの殻(身体)を隅々までまとい、




ただ「在る」ということに、行き着きたいと思う十六夜の夜です。











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2010年5月9日日曜日

〜 顕現 「ユトク伝」 〜

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わたしは概念を超えた空性に住し、


周囲に愛と慈悲の空間を創りだした。


そこに信仰と誓願の坐具を広げ、


深遠なる生起次第の馬に乗り、


さらに深遠なる究境次第の飾りを身につけた。


わたしは生起・究境の二階梯を統合して


自らを御し、完全な無の状態にとどまったのだ。


中川和也訳
「ユトク伝〜チベット医学の教えと伝説」


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photo by App [Backgrounds]




いくつもの手を持つ観音さまや、


馬の顔をした仏さまが、


突然現れたら、


一瞬のひるみもなく受け入れる準備ができているでしょうか。






そんなことを考えてしまうのが、


「ユトク伝」


チベットにおいて、第二の薬師仏と崇められる、偉大な医聖の伝説をまとめた本です。




衆生を病や苦しみから救う為、幾度も医の道を繰り返して転生し、


薬師仏より指示を賜り、あらゆる医学と法をおさめた、ユトクさんは、


ラサのメンツィーカンにも祀られています。






この本は、あらゆることが含まれていて、


1度や2度ではその深遠なる物語に追いつかないのですが、


まず前提として、




< 顕現 >




これが、当然のようにして物語が展開します。




仏に祈り、


その仏の印を持った、一般の姿をした人々、


恐ろしい姿をした憤怒尊やダーキニ、


そして深く帰依した薬師仏や、さまざまな仏が、


当然のように、現れては語り始めます。




さまざまな形で現れるので、


ときにユトクさんも、「これは修行が足りずに生じる幻影か」と


戸惑うこともしばしばです。




疑う余地のないほどに「衆生のため」に在るかどうかを常に試され、


あらゆる指示が、仏から出されます。






「顕現」する。






仏に出逢うことが目的ではなく、


そこから先に、真の目的がある。






この本を読むと、


ハリーポッターの9と3/4番線ホームにスッと入りこむことくらい、


なんてことないと思わずにはおれません。






チベットの歴史を飾るあらゆる偉人の名も連なり、


特に、遠い未来のミラレパの誕生を預言しにきたダーキニが、


ユトクさんに、「彼の為に洞窟を用意しろ」と言って、


その土地の悪しき影響を払い、


導きとして出逢ったモン族の女性の力を借りて洞窟を掘り、


泉を湧かせる場面は印象的です。




どのようにしてインドから四部医典が伝わり、整えられ、編纂されたのかを、


この一冊はとても深く紡いでくれます。




「顕現」するあらゆる姿をした仏やダーキニと、


いつでも対話できる状態であるか・・・。




なによりも顕現について考えるきっかけを、わたしに与えてくれました。






もし、わたしの目の前に、




お不動さんや、


千手観音さんが現れたとき、




驚かずに言葉を聞くことができる自分でありたいと思います。








そして、そのために、




今いる人々の言葉を、




よく聞き入れるようにしたいと思います。






顕現は、あらゆる形で現れており、


いまこの瞬間にも、すべては何らかのサインを放っている気がするからです。










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◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆