2011年2月27日日曜日

-- 踊ること、躍ること --



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「いま」のスペースにやってくる人たちをみな、

尊い来賓として歓迎するとき、

すべての人をありのままにしておくとき、

相手は確実に変わり始めます。


エック・ハルトトール著「 世界で一番古くてスピリチュアルな教え 」

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photo by App [Backgrounds]




「踊る」ということに、最近向き合っています。


10代のときに、

バレエやジャズ、タップを毎日朝から晩まで、

吐くまで練習する・・という生活を送っていたのですが、

ここ何年も、「踊る」ということから離れていました。




3歳から学んでいた少林寺拳法の本質のようなものに、

バレエを学ぶことでようやく気づくことができた、という

不思議な感覚を得られた「ダンス」。




武道とダンスは、とても通じるものがあります。




自分の関節を、もっともっと増やして、細かくして、

それらに意識を巡らせ、

意識を超えた無意識の領域で身体を動かし、踊る。




ダンスのレッスンを受けると、

自分の身体と対話できていないことに気づかされます。




リズムに、指先まで追い付かない意識。

体幹から生じる波が、どこかでさえぎられ、

肩から腕、指先、

股関節から膝、つま先にまで、

瞬間に爆発的に、広がって行かないもどかしさがあります。




違う神経を構築していくとき、

身体の中では、

膨大な量の情報を、奇跡的な速さで身体は処理をし、

少しずつ、成長と進歩を遂げている・・・・

そんなことを想像すると、

「続ける」ことの深淵なる意味を、見出すことができそうです。



「踊る」というバイブレーションが、

人に伝わっていくとき、

とても強い感動を呼び起こすのだな、と感じさせてくれる、

素晴らしい動画がありました。












マイケルの誕生日に、「Beat it」を、みんなで「Flash Mob」する、という動画です。



-- 公共の場で、居合わせた人たちが申し合わせておいた行動を即興で行う --



のが「Flash Mob」だそうですが、

う~ん、みんな・・・本当はすごく練習しているでしょう!



「Michael Jackson Flash Mob」と検索すると、

各国でいろんな人たちが、「Beat it」している、素敵な動画が見られます。




けれど、映像の映し方、ダンスの陣形、

先頭で踊る5人くらいのレベルが圧倒的に素晴らしいのはこの国のです。



曲のフレーズごとに、参加する人数が伝播していく様子が、特に素晴らしい。

最初から、一気にみんなで踊ると、この感動にはならないのです。




「伝播する」



ネガティブもポジティブも、日々、いろいろなものが伝播します。

けれども、「マイケル・・・大好きだ!」という彼らの愛のバイブレーションが、

みるみる伝播していく様子、

個人個人がひとつの集合体として、

呼吸を合わせ、躍動し、波打ち、リズムに共鳴し合う。



「踊る」ということの神聖さを、感じさせてくれます。



そして、良い方向に伝播すれば感動を、

悪い方向に伝播すれば、世界規模の「怖れ」を、

瞬く間に広げてしまうことができるのだな・・・ということ。



この、愛に突き動かされて皆が躍る、というような伝播を、

大事にしていきたいな、


そして、周囲でビックリして茫然と見ている観衆ではなく、

率先して前で「Beat it 」できる人間でいたいな、と思うのです。



空港や、ルーブル美術館や、いろんなところで、

何気なくソワソワして待っている人たちが躍り出す動画がたくさんあるのですが、

微笑ましいFlash Movをもうひとつ。






CMなのですが、

もうおばあちゃんも踊っているし、

スーツを着たサラリーマンもすごい上手だし、

なんだろう、

「いいね!とってもHappyだね!!」

としか思えない心地になります。



それから、Black Eyed Peas のピースフルな曲、「  I got a feelin 」でも、

イベントとしてFlash Mobしている動画です。








最初は、

女性が一人、ガンガンに踊っていて、

けれど、観客が「まったく」動いていなくて。


「う~ん、仕掛けすぎてるなぁ・・」と思うのですが、

集まった人数が半端ではなく。

そのすさまじい人数が一体となって踊る様子に、

最後は圧巻、

「すごいすごい!どうやっているの!みんな連絡はどうやって回ってきたの!」と、

思ってしまいます。

シカゴの皆さん、すごい。





駅で、突然、周囲が踊り出したら。

スーパーで、突然おばさん達が踊り出したら。


ためらわず、一緒に踊れますか。


なんだか人生は、

上手い下手に関わらず、

踊れた人が楽しめ勝ち、な気がしてきました。




心を開いて。

隣と人と微笑み合って。




あなたはわたし。


わたしはあなた。




揺れるリズム。

高鳴る鼓動。




生命は、今日も美しくダンスしていますね。

私の中で。

あなたの中で。


うふふ。


どこかで誰かが踊り出したら、

一緒に踊りましょう。


日常が、非日常へ。

観客ではなく、一人の偉大なキャストとして。


大きな流れの稀有なピース。


Black Eyed Peasの「 I got a feelin 」も歌います。

Let's Do it


And live it up


Get get get get get with us


You know what we say

Party every day



I gotta feeling tonight's gonna be a good night


 
 
毎日が、特別な日になりますように。









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2011年2月7日月曜日

『 光琳の非情なる紅白梅 』









 尾形光琳 「 紅白梅流水図屏風 」




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芸術は根源的な矛盾を秘めています。

その緊張した統合のうえに、

強烈な表情を輝かせるのです。

矛盾した要素の対立は芸術の本質であり、

根本要素です。


『日本の伝統』岡本太郎著

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自由が丘までぶらりと歩く裏道に、

美しい枝ぶりの紅白の梅を植えていらっしゃるお宅があります。


小ぶりながらも、門を覆う松のように、

赤い梅の枝が美しく伸び、

細い細い枝先から溢れんばかりの梅の花が

ほろりほろりと滴るように咲き始めています。



吹き流し、と呼ばれる独特の形を保たれた紅梅は、

何とも艶っぽく、桜とは異なるフェロモンを湛えていて、

日に日に紅い花を増やしていく姿が何とも麗しいのです。




吹き流し、とは、盆栽の用語です。


盆栽の世界は一種独特で、

その味わい深い用語を読むだけで、

良い抹茶を頂いたような心持ちになります。




盆栽は、

植物をたおやかな生物という以上に、

植物の持つ動的な本能を究極にまで研ぎ澄まし、

人がそこに介入して格闘する、というような、

なんとも言えない官能的な世界が広がっているように感じます。




自然が織りなす、幾何学的な模様や流線形、渦。



これらを< 無作為の作為 > として形作ることに、

人は果てしない妙味を感じるのではないでしょうか。



その究極的な< 無作為の作為 >の世界の一つである、日本画。



岡本太郎氏の「日本の伝統」という著作に、

尾形光琳の描く、「紅白梅流水図屏風」と「燕子花図屏風」を、

光琳の魔性(デーモニッシュ)な気配を湛えた、

圧倒的な作品である、と語っています。




自然を完璧に描ききり、

かつ自然に堕落することなく、

どこまでも空間的でありながら、

圧倒的に真空の世界である。



芸術家として、己以上の己となる、

「非情の場」ともいうべき境地に立って描かれた、

「非情の作品」である。




岡本太郎氏は、

幼いころに、「爆発だ!」と言っておられたアナーキーなお姿しか存じ上げず、

この著書を拝読し、なんと心地よい湿度で文章を紡がれる方なのだろう・・と

とても驚きました。




この「日本の伝統」では、

光琳をどこまでもマクロに見つめて、

裏も表も、光琳の狡さも素晴らしさも、

あまねく引っ張り出して舐めつくさんとするかのようです。



街の景色の中で、ふと目にする紅白の梅。


尾形光琳のまなざしや、

岡本太郎のまなざしや、

鮮やかな緑色のメジロのまなざしや、

ただ何も持たずに見つめる自分のまなざしを通して、


幾重にも、

幾重にも、

梅の命そのものを味わうことができます。




紅白の梅を、

命をかけて画家たちが描いたことを、

知ってか知らずか。



今年も麗しく、梅が咲きます。




皆さまのおそばにも、必ずやそんな梅が、

人知れず咲いているかも知れません。



非情なまでに、美しく咲く梅と出逢われる、

香り立つ春でありますように。









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2011年2月3日木曜日

『  許すということ  』

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粗(そあら)なる言葉をなすなかれ

言われたる者 

また 汝に返さん

怒りに出づる言葉は

げに 苦しみなり

返杖(しかえし)必ず

汝の身にいたらん


『 法句経 』 友松 圓諦著
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今日は節分です。

東京は麗らかな日和で、春がそっと手を伸ばしているのを感じます。



昨日は、とても苦しんでいる人と出逢い、お話をする機会がありました。


愛を失い、

その愛を失う流れを作ったと感じている人々に傷つき、憤り、

生きる意味や、

自分自身の価値の灯が消え、

それでも、なんとかして魂に光を取り戻そうとしておられました。


幸せになりたい、そう願う力も枯渇することがあります。


深く傷つき、自分自身を責め、

怒りや悲しみを押しこめることによって、

それらの感情が内側で腐敗し、

自分自身を蝕んでいきます。


このまま、朽ちてしまいたい。

できることなら、こうなった原因となった彼らも共に・・。


人は、時としてそういった濁った流れに飲まれることがあります。



そんなときはまず、自分の感情をきちんと出すこと。


悲しい悲しい、どうしてどうして、怒っている怒っている、どうしてどうして。


目の前に、泣きじゃくるもう一人の自分を据えて、一緒に泣き、怒り、

うんとうんと、言いたかったことをいいましょう。

「どうして愛してくれなかったの」



その次に、「本当に悪いと思っている人」が、本当に悪いのか、考えます。


なぜ裏切ったのか、

なぜ自分を罵ったのか、

なぜ、なぜ、なぜ。

相手の心の揺れ、弱さ、怯え、恐怖、それらを想像します。


相手の事情を、想像してみます。


この部分は、波立ちすぎているとき、自分一人では難しいかもしれません。


複雑な柄の描かれたコップを、一方向から見ているのが今の自分です。


裏側には、また違った柄が描かれ、色が異なり、

右側や左側から見てみると、くぼんでいたり、欠けていたりしますが、

そこからでは、見えていないのです。


自分からでは見えていない事柄があることを、

信頼できる友人や、

ヒーラーさんや、カウンセラーさんなど、

違う立場の人から聞かせていただくことで、広げていきます。



これは、「相手」のために行うのではありません。

「自分」のために行うのです。


怒りを感じているとき、「情報」が不足していると考えてください。

それが生じた状況や理由、隠された真実などを、その瞬間どれだけ受け取っているでしょうか。

複雑に絡んだそれぞれの人生の僅かな接点から、怒りが生じます。


たとえば駅の構内。

人の波に逆らって、乱暴に押しのけ、ぶつかっても謝らず、

逆に大声でどなりながら電車に向かっている男性がいるとします。


人々はその瞬間の姿、情報しか得られませんから、

乱暴な男性に閉口し、怒りを感じるでしょう。


けれど、その男性の家族が今まさに危篤で、必死の想いで電車に乗り込もうとしていたなら。

ずっとないがしろにしてきたのは親なのか、妻なのか、子供なのか、兄弟なのか。

死ぬなという想い、今までの後悔、自分自身への憤り・・・


もしテレビドラマで、彼の人生を見ることができたなら、

その事情を知っていたなら、幾らか乱暴な男性への怒りよりも、

いたわしい想いが湧いてくることでしょう。


情報を集めることで、人は怒りの火を鎮めることができます。


そうして、いくつも空想のテレビカメラを用意し、

自分なりに「悪いと信じて疑わない相手」を違う角度からとらえていきます。


その出来事が起きるにいたった、自分自身も振り返り、

いくつもサインが出ていたことや、

そこに自分もなにかしらの責任や意図が重なり、生じたことなのだと、

少しずつ粘土をこねるように、一方向から見ていたものを柔らかく練っていきます。



柔らかくなったら、最後の仕上げです。


不幸中の幸いを見つけます。

昨日話をした彼女の場合は、「そのまま結婚しなくて、本当に良かった」ということです。


最悪な出来事から、学びや、不幸中の幸いを見出します。


「これで済んでよかった」

「長い目で見たら、この痛みや苦しみが役に立つ日が来る」

「この経験があるから、考え方が、生き方が変わった」

「もう同じことにはならない」


不幸中の幸いを、上手に見つけていきましょう。

友達と一緒に、お茶をしながら、飲みながら、探しても素晴らしい時間です。



そして、決めます。


「 幸せになる 」




あなたが幸せになることが、

周囲の幸せに繋がります。


心地よくて、穏やかな気分で、もしくはとてもウキウキしていて。

そんなとき、何気なく声をかけたお店の店員さんや、同僚や友人にも、

その幸せは、隕石が落ちたときのような勢いで波紋のように広がり、

遠い国の誰かの肩に、

ひらひらと、

落ち葉や花びらや、タンポポの綿毛なんかを、

そっと載せているのです。



『 許す 』


こんなに難しいことはありません。

けれど、相手を許す、ということではなく、

相手を憎んでいる自分を許し、手放し、

そこから固定せずに動き出す、ということです。


その荷物を、いつまで大事に抱えて人生を歩くのでしょう。

美味しくない料理を、バケツいっぱいに詰めて、いつも持ち歩き、

電車の中で、

街の中で、

むしゃむしゃと食べているのを思うと、さっさと捨てて、

丁寧に作られた湯気の立つ美味しいものを食べたほうが、

本当は「いい」と、自分自身で、気がついているはずではありませんか。



昨日、私が初めて逢った方は、もう一人の私です。


彼女が抱えていた苦しみや怒り、孤独は、

私の中にもあったからこそ、彼女は私の前に現れたのだと、私は考えます。


だからこそ、私は、彼女の幸せを全身全霊で祈り、話をし、

彼女が抱えていた怒りや悲しみを、

一緒に空に見送るよう、そっと背中を押しました。


私の魂と、彼女の魂が呼応した一瞬のような夜です。


私は、幸せを願います。

自分の幸せを、丁寧に一瞬一瞬感じ、味わうことを大切にします。


そして、これを読んでくださる貴方が、貴女が、

幸せでありますように、祈ります。


許すということは、登山のようです。

自分を幸せにする、と決めたらなら、

登るしかない山道です。


険しく、けれど一歩一歩が清浄な道です。


そして、心は自由です。

ある日突然、風に乗り、雲に乗り、

山の頂上に、立っていることもあるのです。


変容。


人は変容します。


だからいいのです。 

あの人を許して。


だからいいのです。

うんと楽になって。


だからいいのです。

おもいきり幸せになって。



あなたの幸せを、祈ります。

愛をこめて。








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