2010年8月30日月曜日

~ Iridescent Clouds 五色の雲 ~











photo by Ian Parker




昨日は、衣類を整理して、1日中お洗濯をしていましたら、


偶然にも、かわいらしい「彩雲」を発見!


ニュースや写真で見たことがあるのですが、

自分のベランダの上で、その輝きを見られるなんて、と大興奮。

カメラのバッテリーもなく、あぁこれはその眼でみなさい、ということかと撮影はあきらめ。


洗濯物がたなびく隙間から、

薄く濃く、光を放つ五色の雲をみていました。


その昔は、この瑞雲があらわれると年号まで変えたといわれています。

よくある気象現象だと言われてはさみしいのですが、

日頃から、昼から空を見上げていないとなかなか出逢えませんね。


阿弥陀如来さまが五色の雲に乗り、

菩薩さまたちを従えて下界へ・・・とう絵画にも、

五色の雲が描かれているそうです。



仏画で、とても衝撃をうけたのが、

こちらの国宝・山越阿弥陀図 (京都・永観堂禅林寺)
















お山の向こうから、圧倒的に大きな仏さまが、

こちらを見てくださっている、の図。


小学生のころでしょうか、ものすごく衝撃を受け、

いまでも脳裏に焼き付いています。


そしてものすごく、納得したのを覚えています。

あぁ、そうだな、と。

そうだよね、そうなんだよね・・というような。


お天道さまが見ている、というのも、

こちらの世界観のほうが近い気がします。

















こちらの本は、さらっと立ち読みで終わらせてしまったのですが、

やってみようと思い、挑戦。


けれど、仕事場に行ったり、

他の人の決定指示に従う環境のなかにいると、

「不平不満」をうっかり口にしてしまう自分がいます。

(あ~ぁ、疲れたな・・という類のものが)


ごく限られた人としか触れ合わず、お山にこもって21日間・・・

そんなことは難しい都会でこそ、

このチャレンジがいかに過酷で、だからこそ重要かを思い知らされます。


自分の言霊に意識をむけると、

うっかり不平を口にする前に止めた自分の内側に、

「不平不満」を思念として発した自分を、強く感じられるようになります。


最終的に、不平不満を思念としてさえ生じさせない状態、

あらゆるものが「空」であり、

生じた事象に思念や感情を揺り動かされずに、存在できるところへたどりつく、

「目覚め」た状態、

悟りと言われる状態、

空性の直接体験、

といった世界に自分を置くことが目標なのだと思います。




朝、歩いているときに、


「不平不満を言うことは、

神さまや仏さまというような存在が用意してくれた世界に、

ケチをつけていることなんだ」



と、はたと気付きました。




なんだか猛烈に恥ずかしくなって、


「せっかくご用意くださった綺麗な世界に、ケチをつけてごめんなさい!」と


ものすごくものすごく、思いました。




誰かの言葉、態度、出来事に、不平不満をいうことは、

形作る大いなる存在の計らいに、ケチをつけることになる。


あぁ、もったいない。


「間違ってカレーが来ても喜べる人は必ず幸せになる」という本を見かけるたびに、

「そんなの、私なら絶対言うな!取り替えてもらうな!いやだって言うな!」と

毎回思っていたのですが。


すべての出来事を、「計らい」だと思って受けとめられるかにかかっている、

ということをなのだと改めて思います。



英語で、彩雲はIridescent Clouds、玉ムシ色の雲、というそうです。


気付かないだけで、

今日もどこかで、

たくさんの人の上に、

五色の雲が光っては消えているはずです。


みなさまの頭上にも、

五色の雲が美しくたなびいていますように。



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2010年8月23日月曜日

~ 本とCDを手にする、ということ ~






















昨日はHMV 渋谷店が閉店しました。

渋谷の喧騒が苦手なのですが、

帰り道、クラシックコーナーを最後にのぞきたくて参戦。


お店を見上げて、携帯で最後の姿を映す人で道路はいっぱい。

店内も、最後のお祭りということで、人がいっぱい。



南米の作曲家、ヒナステラのCDが安くなっていたので購入。

今週ライブに行く、ア・フィレッタのCDは置いていませんでした。


名残を惜しむ人たち。


けれどきっとすぐに、

無くなってしまったことに慣れてしまう街なのだろうと思います。



お昼間は、編集者の方と恵比寿でお茶。


いろいろな話から、今の日本の出版業界について。


本は、一度にたくさん印刷をしてコストを抑え、

それをとりあえず本屋さんに納めてお金をもらい、

そのお金を運転資金として別の本を作り、

最初の本が返品されてきたら、本屋さんにお金を返さなければいけない。


とっても自転車操業なのですね。


そして、会社にもよるかと思いますが、

半年もたたない間に、本が売れる見込みなし、と判断されたら、

保持していることへの税金や、倉庫のコストを踏まえて、

断裁、されるそうです。


その方は、それを「死刑執行」とおっしゃいました。


断裁し、わずか何十冊だけになったときに、

書評で評判が高まり、やむを得ず再印刷・・という馬鹿らしいこともあるとのこと。


ユニクロの柳井さんとかだったら、企業のトップの方だったら、

この流れをどんなふうにして改善するだろう・・と思いました。


本の取り扱い寿命が、そんなに短いスパーンで終わるなんて、

本が好きな人間としては、聞いていてちょっと泣きました。


本が売れない時代。

CDが売れない時代。


けれど私は、今まで通り本を買い、CDも買っています。


そこに物体があることは、3Dの立体として感知し、味わう幅がひろがります。


売り手のニーズと、買い手のニーズが合わないことが問題で、

どちらもお互いを求めているのに変わりはないはず。


本とCD。


その行く末を考えさせられる1日でした。


文字も音も、

本来はとても神聖なもの。


今はとても手軽に、コンビニエントに流れていく方向で

淘汰されているようにみえますが、

実は本当は、

その神聖さに立ち返ることを問われているのではないでしょうか。


消費するのではなく、

音や文字があり、

ひとつの作品として浮かびあがってくることに、

神聖さを宿すことができるのは、

作り手だけでは難しいのです。


受け手がそれをどう扱うか。


泥も、受け手が扱えば、聖なるものに変わるのです。



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2010年8月16日月曜日

~ 海の友へ ~

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この宇宙を創造し、形作り、

動かしている目に見えない力、

それを神と呼んでもいいし、

大いなる自己と呼んでもいい。

その全能なるものに対して、

自分を捧げつくすことが音楽だ。

ラビ・シャンカール by 地球交響曲第6番

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今日は、恵比寿にある東京都写真美術館で上映中の、

地球交響曲を観に行ってきました。


今回は、新しい第7番ではなく、

ずっとずっと観たいと思っていた、第6番を観てきました。

第6番は「虚空の音」がテーマ。



音とは何か。

命とは何か。



原始的な音色を奏でるアーティストたち、

メインとなるインタビューの出演者、

誇張することなく、

過度に感傷を誘うこともなく、


それぞれのまなざしから観た、「音」という命が、

いかに美しいかを、静かに紡いでいる映画です。


ラビィ・シャンカールさんの神との対話のような無我の境地、


「自然と溶けあい、音楽に溶け合って透明な存在になりたい」と話す、

ピアニストのケリー・ヨルトさん。


チェロを愛し、海を愛し、

クジラの奏でる歌に身も心も捧げて、その愛を知らしめようとするロジャー・ペインさん。


地球という星が奏でる音は命そのものであると、

私たちに訴えかけます。


ディジュリドゥのKNOBさんの演奏は、その情景とともに素晴らしく、

音色の中に、

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 と、

般若心経の真言を唱えていらっしゃり。


雲立ち込める火山口の上で演奏される姿は、

本当に圧巻でした。



ずっと龍村仁監督もいらっしゃり、

サインをいただけるとのことで、甘えてパンフレットにサインをしていただきました。



< 海の友へ >




金色のペンでそう書かれた龍村監督。


しっかりと目を合わせて、握手までしてくださりました。


その瞳に宿る光が、

お年を重ねられた手からでるエネルギーが、

なんだか大きく懐かしく。


まるで鎮守のご神木の精霊に出会ったような気分になりました。


< 海の友へ >


そう呼びかけてくださることの意味を、

改めて考えたいと思う夜です。


写真は、監督のサイン入りパンフレット。


仁、という文字が美しい曲線を描き、

< 海の友へ >につながっていきます。


それはまるで、丸い地球のラインのようなたおやかさです。



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2010年8月8日日曜日

~ 自分の中に眠るバランスの中心を探して ~

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浄化を助けるものとして

苦痛を受け入れること、

霊的な書物を研究すること、

至高の存在に身をゆだねることが、

実行のヨーガである。

「ヨーガスートラ/インテグラルヨーガ」
スワミ・サッチダーナンダ著

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昨日は、目黒のSUN&MOON ヨガスタジオで行われた、

Lauren Peterson(ローレン・パターソン)さんの

「中心を見つけましょう:両手、両足、両腕によるバランス」

というワークショップに参加しました。



世界的なカリスマであり、ヨガモデルとしてその美しいアーサナを世に示してくださる一人です。


私はアシュタンガヨガを学んでいはいないのですが、

ずっとずっと憧れの方でしたので、

今回、その実践を目の当たりにすることができ、

ただただ感動。



「腕の大きな筋肉も必要だけれど、

大切なことは、バンダを引き上げて、自分のセンターを見つけて、

手で「立つ」ことよ」



丁寧に、すべてに意識を行き渡らせながらアーサナが続きます。


「足で立ってみて。そのときの自分のバランスを感じてみて。

前後左右に、重心を動かして、自分の足で立つ中心を感じてみて」


「そのまま手を伸ばして、天井を押してみて」


「それが、ハンドバランスの感覚です。足で立つように、手で立つの」












腕で全体のバランスをとらえながら、

ウディヤナ・バンダ(腹部の引き締め・引き上げ)で

ゆっくりと足を上げていきます。














ゆっくり、静かに・・












肩と骨盤の位置が素晴らしく、

どこにも余分な力が入っておらず、

静かな調和に満ちています。

このままハンドバランスの完璧な倒立へ。









あまりの美しさ。

トライすることよりも、どのように動いているかを見たくて、

呼吸も忘れて見入ってしまいます。



















あぁ・・私が感銘を受けたポーズが今目の前に・・・。


このポーズをされる方はたくさんいらっしゃいますが、

なぜこんなにも静謐な世界になるのだろう、と見入ってしまいます。



「30歳くらいからヨガをはじめて20年。

最初からこんなことができるわけじゃないのよ。

継続的に修練していくことが大事です」



未熟な私に、ダウンドックのポーズのときは、

腰をぐっと押し、もっと首を緩めて・・とアジャストしてくださり、


最後のシャバアーサナで横たわっているときも、

ぐっと肩を押し、首を緩め、こめかみをマッサージしてくださり、

本当に感動。


「この人のように動いてみたい」と思う方から、

直接エネルギーをいただけて、本当に感動です。



Lauren Petersonさんは、カリフォルニアのマリブで教えていらっしゃいます。

素敵なHPはこちら。http://www.yogacompanion.com/



このHPの中にある、素晴らしい動画を最後に。



どうしてそのポーズから、「回って」しまえるのか・・・。


練習していると、自分の未熟さから「できない」と意識がブロックをしますが、

このように、「できて」いる方の動きを映像として見ると、

限界を設けているのは自分自身であることに気づかされます。



まだまだ自分の身体との対話が足りません。

彼女の持つ美しい質が、私の中にも育まれますように・・・。



   





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2010年8月6日金曜日

~ 美しい動き ~ 

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何かを得ようと手を伸ばしているときにも、

バランスを維持するためには、

「与えること」と「受け取ること」

「教えること」と「学ぶこと」

「抱きしめること」と「突き放すこと」が

同じようにできる必要がある。

【ボディワイズ】ジョゼフ・ヘラー&W・Aヘンキン著

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今日、自由が丘で美しいオルゴールを流しながら、

美しいパントマイムを演じている青年がいました。























優しいオルゴールの音色が、夕方の緑道によく似合い、

しばし立ち止まって見入っていました。


最初は、よくあるマイムかと思っていたのですが、

衣装のちょっとした部分、マスクもお客様からは目が見えないようにしている、とか、

心付けを入れるのが、小さな古い木のトランクのようなものだとか、

何かしらの物語が流れていて、

それがオルゴールの音色とともに、こちら側まであふれてきて、

思わず、涙が出そうになりました。



身体の微細な部分、

関節の一つ一つ、

右の肋骨、左の肋骨の自由度、

首と鎖骨を切り離して少しずつずらしていくさま、

股関節から下の重心軸の素晴らしさ、

ゆっくりと動く中で身体を後ろへそのまま倒し、また同じ速度で戻る様子、


小さな女の子がちょっかいをだすのを、

人形として変わらぬ速度で反応し、

ゆっくりと手を振り、お辞儀をする・・・・



もし私だったら、

おもわぬちょっかいが出されたら、

動きが速くなったり、意識の中に拒絶が表れそうなのですが、


彼は、それさえもひとつの物語として包んでいきます。


指先からは気がほとばしり、

彼はもっと早い音楽でいかようにも踊れる人なのだろうとため息がでます。


ゆっくり動くことの難しさ。


ゆっくり動くことの美しさ。


そこには、「動き」のすべてに意識を向け、

何一つ無意識に、無造作に動かされているものがない美しさがありました。



彼の動画を拝見すると、

また全く違う、「ゆるめる」という角度から自由に手足をなびかせ、

ゆるめることの止め、でリズムを刻む、

一見するとヒップホップのようですが、

コンテンポラリーとも違う、

すこし武道のような気配がしました。


動きで、詩を紡ぐ人です。

まだ若い方なので、このまま続けられたら、きっともっとすごいと思います。



なんにせよ、「解放」することができる人の強さと素晴らしさを、

教えていただいた時間です。



個人的には、

私の中にある、眠らせていた感覚が、

ざわざわと揺れ動いています。


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気づきをくださったのはこの方    u→璃途夢Nation さん。

どうもありがとう。

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