2010年8月23日月曜日

~ 本とCDを手にする、ということ ~






















昨日はHMV 渋谷店が閉店しました。

渋谷の喧騒が苦手なのですが、

帰り道、クラシックコーナーを最後にのぞきたくて参戦。


お店を見上げて、携帯で最後の姿を映す人で道路はいっぱい。

店内も、最後のお祭りということで、人がいっぱい。



南米の作曲家、ヒナステラのCDが安くなっていたので購入。

今週ライブに行く、ア・フィレッタのCDは置いていませんでした。


名残を惜しむ人たち。


けれどきっとすぐに、

無くなってしまったことに慣れてしまう街なのだろうと思います。



お昼間は、編集者の方と恵比寿でお茶。


いろいろな話から、今の日本の出版業界について。


本は、一度にたくさん印刷をしてコストを抑え、

それをとりあえず本屋さんに納めてお金をもらい、

そのお金を運転資金として別の本を作り、

最初の本が返品されてきたら、本屋さんにお金を返さなければいけない。


とっても自転車操業なのですね。


そして、会社にもよるかと思いますが、

半年もたたない間に、本が売れる見込みなし、と判断されたら、

保持していることへの税金や、倉庫のコストを踏まえて、

断裁、されるそうです。


その方は、それを「死刑執行」とおっしゃいました。


断裁し、わずか何十冊だけになったときに、

書評で評判が高まり、やむを得ず再印刷・・という馬鹿らしいこともあるとのこと。


ユニクロの柳井さんとかだったら、企業のトップの方だったら、

この流れをどんなふうにして改善するだろう・・と思いました。


本の取り扱い寿命が、そんなに短いスパーンで終わるなんて、

本が好きな人間としては、聞いていてちょっと泣きました。


本が売れない時代。

CDが売れない時代。


けれど私は、今まで通り本を買い、CDも買っています。


そこに物体があることは、3Dの立体として感知し、味わう幅がひろがります。


売り手のニーズと、買い手のニーズが合わないことが問題で、

どちらもお互いを求めているのに変わりはないはず。


本とCD。


その行く末を考えさせられる1日でした。


文字も音も、

本来はとても神聖なもの。


今はとても手軽に、コンビニエントに流れていく方向で

淘汰されているようにみえますが、

実は本当は、

その神聖さに立ち返ることを問われているのではないでしょうか。


消費するのではなく、

音や文字があり、

ひとつの作品として浮かびあがってくることに、

神聖さを宿すことができるのは、

作り手だけでは難しいのです。


受け手がそれをどう扱うか。


泥も、受け手が扱えば、聖なるものに変わるのです。



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