2010年4月15日木曜日

~ 原初の振動 ~

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最初の創造的な音 
-   「ビッグ・バン」と表現してもいい  - は、
かなり低い音だったというのが
主流派科学のコンセンサスだ。

耳で聞こえる音よりもはるかに低く、
振動数の遅いこの音は、
「コズミック・ハム(普遍の響き)」と呼ばれることもある。

この音の本当の響き、そしてこの音が
創世記の‘言’(ことば)だったかを知る術はないが、
共鳴によって森羅万象を現象化させた振動は、
コズミック・ハムだったのだろう。

ジョナサン・ゴールドマン著
          「奇跡を引き寄せる音のパワー

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photo by App [Backgrounds]



今日は一日、

「音」であり「振動」である

ということを考えさせられる一日となりました。


ちょうど、ジョナサン・ゴールドマンが書いた「奇跡を引き寄せる音のパワー」を読んでいたので
音にまつわる人を引き寄せた一日でした。


音のヒーリングとしては「なぜ音は癒すのか」が名著で今も読まれていますし(再販を望みます)

「引き寄せの奥義~キバリオン」でも、「振動」を通しての真理が、

違う角度からひもとかれているのでお勧めです。



私の身体を形作るものは、

細胞を超えた、原子や電子を超えた微細なものが、

振動しあいながら密集する状態を維持しているのであって、

机も、椅子も、パソコンも、植物も、

微細なところまで広げていくと、振動数と密集の違い、であるということにつながっていきます。



今日は、「音」とは何か、ということを語り合う機会に恵まれ、

改めて「私」とは何か、という問いを見つめることとなりました。



昨日の問い、「切る」とは何か。


微細な微細な部分でみると、
それぞれ異なる振動数と密集で形作られているように「見える」もの同士が、

触れ、ぶつかることで、片方は振動数に道を譲り、片方は譲られた道を進み、

「切る」ということにつながっていくように思います。


「壁」に触れた「手」は、

本当はミクロな部分で「壁」と溶けあい、混じりあい、

「私」であるという「意識」と、

「壁」であるという「意識」に依りかかって

「異なる存在」として感じている・・・


チベットのお坊さまの中で、

空性を観、空性を悟った方々の中には、

扉も、壁も、スッ・・とすり抜けて、中に入ってしまわれる方が幾人もいらしたそうです。



イメージは、映画「マトリックス」でも掴むことができます。


ネオが、世界を形作る「プログラミング」を見出した時、

自分を取り巻くすべてが緑のプログラミングであることを知り、そのことを奥底から観、

ゆえにネオは目覚めた者として、自由に飛び、自由に移動していきます。



「私」とは何か。


その問いは、あらゆる音の中に潜んでいて、

あらゆるものの中から溢れているように思います。


私であり、冷蔵庫であり、おなかを上に向けた金魚の中に、

境目なく、際限なく、溢れているように思うのです。



私の内に存在する振動が、美しいものであるよう、

究めて努めなければならないと、改めて教えて頂いた一日です。


書きたいことはたくさん。

少しずつ、みなさんと分かち合うことで、深く見つめていきたいと思います。


皆さまを形作る奥の奥の奥が、美しい振動を放つとき。

木を何本も植樹するのと同じくらい、

この世の中を平和にします。


その微細な振動は、「意思」として、「意図」として、

生じた瞬間から宇宙に向けて、大きく振動を投げかけていきます。


穏やかさに満ちた意図は、

大きな大きな大樹と同じくらい、この世の中の役に立ちます。


原初の振動は、連綿と、

今この瞬間も変わらずに、

私たちの身体を通して、世界に美しく響き渡っているのだと、

改めて思う、夜です。




 




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