2010年4月21日水曜日

~ Tonglen瞑想 ~

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瞑想は静謐の中で行われる運動である。


精神の沈黙こそは本然たる行為のあり方である。


思考から生まれた行為は天真たりえず、


それゆえいたずらに混乱を生むだけである。


精神の沈黙は思考から生まれることはなく、


精神のざわめきを止めれば


生まれるというものでもない。


頭脳そのものが静まり返ったときにはじめて、


静謐な精神が生まれるのである。


ジッドゥ・クリシュナムルティ著
           「クリシュナムルティの瞑想録
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photo by App [Backgrounds]



瞑想を習慣化することは、

「ヒール」を履くこととよく似ていると、最近特に思います。

ヒールは、久しく履いていないと、なかなか履いて歩けない。


もしくは、正座で座ることにも似ています。

普段から行わなければ、あっという間にしびれてしまうところなど。





「瞑想」という名の精神の運動であると捉えることで、

また、趣も変わってくると思います。



何のために瞑想をするのか。



その問いそのものを、瞑して想うこともまた、奥深いことです。




瞑想の何たるかを語ることはできない未熟な私ですが、

よく行うものに、トンレン瞑想、というものがあります。



ご存じの方も多くおられ、

いろいろとアプローチはあるかと思いますが、



私はまず、


数息観から自分を見つめ、整え、


しだいに自分の身体を空の色に染め、


尾骨より少し内側から、


背骨に添うように光の脈管を頭蓋骨を通って眉間まで伸ばし、


眉間にダイヤモンドのような、強い白い光をイメージし、


(それは金剛としての智慧であり、)


胸には慈悲として、何か好きな赤い花、バラでも蓮でも・・を浮かべ、


眉間のダイヤモンドを胸に開く花に乗せ、(智慧と慈悲、男性性と女性性)


自分の内側を光で満たしていきます。




目の前に、苦しみを抱えている人をありありとイメージします。




その苦しみは、一呼吸ごとに黒い煙、黒いインク、そういったもののように

その人自身からにじみ出て、這いだし、

その人の胸の前でぐるぐると集まって、黒い球体となります。


「慈と悲の心をもって、相手の苦しみを滅する」


一呼吸ごとに、相手の苦しみである黒い球体を引き寄せ、

自分の智慧と慈悲である光にぶつけて、スパークさせます。


美しい光の花火が、頭上から降り注ぐように。



自分が見えているその人の苦しみは、

自分自身の苦しみに他ならず。



慈と悲の心をもって、苦しみを滅するとき、

自分自身の中の苦しみが、またひとつ、消えることになります。


苦しみを光にぶつけて、スパークさせる。


大切なことは、自分の内側に、光をありありと満たすことです。




ヨガの先生のmasaさんは、

「満員電車でこれを行うと素敵だよ。ワンブレス・トンレン。ひと呼吸ごとに行うのだよ」

と微笑んでいらっしゃいました。



日曜日の朝、小さな女の子向けのアニメを見て、改めて感心しました。


心の中の闇に支配された人々に、

少女である戦士は光をぶつけ、

その人本来の姿を取り戻すのです。



このトンレン瞑想は、

ダライラマさまも、行っていらっしゃるそうです。



うちにありありと、光が満ちる自分であること。


その光は、とても美しい色だろうと思います。














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