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瞑想は静謐の中で行われる運動である。
精神の沈黙こそは本然たる行為のあり方である。
思考から生まれた行為は天真たりえず、
それゆえいたずらに混乱を生むだけである。
精神の沈黙は思考から生まれることはなく、
精神のざわめきを止めれば
生まれるというものでもない。
頭脳そのものが静まり返ったときにはじめて、
静謐な精神が生まれるのである。
ジッドゥ・クリシュナムルティ著
「クリシュナムルティの瞑想録」
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瞑想を習慣化することは、
「ヒール」を履くこととよく似ていると、最近特に思います。
ヒールは、久しく履いていないと、なかなか履いて歩けない。
もしくは、正座で座ることにも似ています。
普段から行わなければ、あっという間にしびれてしまうところなど。
「瞑想」という名の精神の運動であると捉えることで、
また、趣も変わってくると思います。
何のために瞑想をするのか。
その問いそのものを、瞑して想うこともまた、奥深いことです。
瞑想の何たるかを語ることはできない未熟な私ですが、
よく行うものに、トンレン瞑想、というものがあります。
ご存じの方も多くおられ、
いろいろとアプローチはあるかと思いますが、
私はまず、
数息観から自分を見つめ、整え、
しだいに自分の身体を空の色に染め、
尾骨より少し内側から、
背骨に添うように光の脈管を頭蓋骨を通って眉間まで伸ばし、
眉間にダイヤモンドのような、強い白い光をイメージし、
(それは金剛としての智慧であり、)
胸には慈悲として、何か好きな赤い花、バラでも蓮でも・・を浮かべ、
眉間のダイヤモンドを胸に開く花に乗せ、(智慧と慈悲、男性性と女性性)
自分の内側を光で満たしていきます。
目の前に、苦しみを抱えている人をありありとイメージします。
その苦しみは、一呼吸ごとに黒い煙、黒いインク、そういったもののように
その人自身からにじみ出て、這いだし、
その人の胸の前でぐるぐると集まって、黒い球体となります。
「慈と悲の心をもって、相手の苦しみを滅する」
一呼吸ごとに、相手の苦しみである黒い球体を引き寄せ、
自分の智慧と慈悲である光にぶつけて、スパークさせます。
美しい光の花火が、頭上から降り注ぐように。
自分が見えているその人の苦しみは、
自分自身の苦しみに他ならず。
慈と悲の心をもって、苦しみを滅するとき、
自分自身の中の苦しみが、またひとつ、消えることになります。
苦しみを光にぶつけて、スパークさせる。
大切なことは、自分の内側に、光をありありと満たすことです。
ヨガの先生のmasaさんは、
「満員電車でこれを行うと素敵だよ。ワンブレス・トンレン。ひと呼吸ごとに行うのだよ」
と微笑んでいらっしゃいました。
日曜日の朝、小さな女の子向けのアニメを見て、改めて感心しました。
心の中の闇に支配された人々に、
少女である戦士は光をぶつけ、
その人本来の姿を取り戻すのです。
このトンレン瞑想は、
ダライラマさまも、行っていらっしゃるそうです。
うちにありありと、光が満ちる自分であること。
その光は、とても美しい色だろうと思います。
◇ 美しい波紋が広がりますように・・・感謝をこめてやんわりクリック◇
◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆
日本赤十字:中国青海省地震被害の救援金受付
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