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2010年8月8日日曜日

~ 自分の中に眠るバランスの中心を探して ~

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浄化を助けるものとして

苦痛を受け入れること、

霊的な書物を研究すること、

至高の存在に身をゆだねることが、

実行のヨーガである。

「ヨーガスートラ/インテグラルヨーガ」
スワミ・サッチダーナンダ著

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昨日は、目黒のSUN&MOON ヨガスタジオで行われた、

Lauren Peterson(ローレン・パターソン)さんの

「中心を見つけましょう:両手、両足、両腕によるバランス」

というワークショップに参加しました。



世界的なカリスマであり、ヨガモデルとしてその美しいアーサナを世に示してくださる一人です。


私はアシュタンガヨガを学んでいはいないのですが、

ずっとずっと憧れの方でしたので、

今回、その実践を目の当たりにすることができ、

ただただ感動。



「腕の大きな筋肉も必要だけれど、

大切なことは、バンダを引き上げて、自分のセンターを見つけて、

手で「立つ」ことよ」



丁寧に、すべてに意識を行き渡らせながらアーサナが続きます。


「足で立ってみて。そのときの自分のバランスを感じてみて。

前後左右に、重心を動かして、自分の足で立つ中心を感じてみて」


「そのまま手を伸ばして、天井を押してみて」


「それが、ハンドバランスの感覚です。足で立つように、手で立つの」












腕で全体のバランスをとらえながら、

ウディヤナ・バンダ(腹部の引き締め・引き上げ)で

ゆっくりと足を上げていきます。














ゆっくり、静かに・・












肩と骨盤の位置が素晴らしく、

どこにも余分な力が入っておらず、

静かな調和に満ちています。

このままハンドバランスの完璧な倒立へ。









あまりの美しさ。

トライすることよりも、どのように動いているかを見たくて、

呼吸も忘れて見入ってしまいます。



















あぁ・・私が感銘を受けたポーズが今目の前に・・・。


このポーズをされる方はたくさんいらっしゃいますが、

なぜこんなにも静謐な世界になるのだろう、と見入ってしまいます。



「30歳くらいからヨガをはじめて20年。

最初からこんなことができるわけじゃないのよ。

継続的に修練していくことが大事です」



未熟な私に、ダウンドックのポーズのときは、

腰をぐっと押し、もっと首を緩めて・・とアジャストしてくださり、


最後のシャバアーサナで横たわっているときも、

ぐっと肩を押し、首を緩め、こめかみをマッサージしてくださり、

本当に感動。


「この人のように動いてみたい」と思う方から、

直接エネルギーをいただけて、本当に感動です。



Lauren Petersonさんは、カリフォルニアのマリブで教えていらっしゃいます。

素敵なHPはこちら。http://www.yogacompanion.com/



このHPの中にある、素晴らしい動画を最後に。



どうしてそのポーズから、「回って」しまえるのか・・・。


練習していると、自分の未熟さから「できない」と意識がブロックをしますが、

このように、「できて」いる方の動きを映像として見ると、

限界を設けているのは自分自身であることに気づかされます。



まだまだ自分の身体との対話が足りません。

彼女の持つ美しい質が、私の中にも育まれますように・・・。



   





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2010年7月27日火曜日

~ 心不可得 ~



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  心不可得







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武術、武道、マーシャルアーツの内包する静的動作は、

ヨガのアーサナとなんら変わらない、

この両者はなにも変わらないな、と思います。



NHKの中国武術特集、見たいけれども見られなくて、

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010016455SA000/index.html

お試しを見て、改めて驚きます。


指一本で倒立している・・。

もっと鍛えなければ・・・。



少林寺拳法を3歳から学んでいたので、

改めて知識が増えた中で技や動作を見つめると、新たな驚きがあり、新鮮です。


達磨大師が禅を広めた嵩山少林寺。

インドより禅を広めにやってきた際、体力のない僧侶を鍛えるために、

易筋行、洗髄行を授けた・・とされています。


易筋行・・とはなんぞや。


むむむ。これは調べたい。

とりあえず月刊秘伝を探してみよう・・・。



インドの達磨大師・・ということで、ひらめいたのがカラリヤパッド。

インド南部に伝わる武術で、以前より興味がありました。


http://www.youtube.com/watch?v=4YmA46x7Xok


カラリヤパットをウィキで調べると・・・

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伝説によれば、達磨大師がインドからこの格闘技を中国に伝道し、
それが現在の少林拳になったと言われている[1]。

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あ・・・つながった。


禅   ⇒ 少林寺

禅   ⇒ インド

インド ⇒ ヨガ


なんだか、全然違うけれど、こんな感じでさくさくシナプスがつながっていく感じ。

マインドマップで書いたほうがピッタリきますね。



私の肘は極度の過伸展で、 一発芸で、

「・・ひじ折れたー!!」

とやると皆がわぁー!と引いてしまうほどに曲がり、いまだに筋力がないので、

きちんとチャトランガを行えるようにトレーニング中。



今までの学びが、等しくつながり、

これからの学びも同じくつながり、

そこから得られたものを如何とせん。


自利でなく、

利他のために、

それらの学びを捧げんとす。


過去心不可得

現在心不可得

未來心不可得


自利は利他であり、

利他は自利である。


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2010年4月30日金曜日

〜 五智を配する 〜

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意(こころ)が休まり、
身体の束縛が解けたとき、
本有の一味があふれ出るとき、
そこにはシュードラもバラモンも存在しない。


ここ(身体)に聖なるヤムナーがあり、
ここに聖なるガンガーがある。
ここにプラヤーガとベナレスがあり、
ここに月と太陽がある。


こは我が放浪の地、遊行の寺、
私はここに巡礼している。


この身体ほど祝福された霊場を、
私はかつて見たことがない。


テリー・クリフォード著「チベットの精神医学」
    〜 sarahaの詩より 〜
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photo by App [Backgrounds]




今日はチベットハートヨガのシリーズ7、煩悩を滅する、というテーマで、


レッスンを行っていただきました。






チベット医学の大きな主軸のひとつに、


身体の中を通る、3本の大きな脈管の存在があります。




アーユルヴェーダの流れを汲むので、重なる部分が多いのですが、


体内に無数の、その数7万2千もの霊的脈管が走っていると考えられています。




中央に走る脈管をチベット語でウマ(dbu-ma)


右の脈管をロマ(ro-ma)


左の脈管をキャンマ(rkyang-ma)といい、




中央の脈管に、左右の脈管が絡み付いているポイントをチャクラ、と捉えています。




右の脈管は熱く、太陽であり、その脈管にプラーナが流れ込むと、怒りが


左の脈管は冷たく、月であり、その脈管にプラーナが流れ込むと、妬みが生じます。






ヨガを行うことは、3つの経路を制御し、


【智慧の脈管】とも呼ばれる中央の脈管にプラーナを流し、


空性(シューニャター)を直観する、ということを目指すことが根本にあります。






今日のシリーズは、


自分の内側に五智如来を配し、


(大日如来/阿弥陀如来/宝来如来/不空成就如来/阿しゅく如来)


その位置の応じたアーサナを通して自分自身を見つめていきます。






色々なポーズがあるのですが、




身体をひねるポーズは、左右の脈管を刺激して、


とくに妬みを洗い流すというイメージがあります。




日頃から、なかなかひねるポーズは行わないので、


少し憤りやわだかまり、妬みが生じたときは、


左右の脈管にエネルギーがかたより過ぎていると捉え、


身体をひねるポーズをとると、左右のエネルギーが流れて行きます。






それぞれの如来は、煩悩や、五大元素にも対応があり、


内分泌線にも当てはめられていたりと、


とても奥深いのがチベット医学です。






レッスンの最後に、masaさんが、




「流派を超えて、自分だけのヨガをみつけること」


「自分だけの曼荼羅を、この身体に作ること」




そんな言葉を投げかけてくださいました。






絶対的な智である、大日如来の法界体性智。


正しく区別する智である、阿弥陀如来の妙観察智。


鏡のように命を映す智である、阿しゅく如来の大円境智。


平等化する智である、宝来如来の平等性智。


一切の事業を完成させる智である、不空成就如来の成所作智。








私たちの身体には、すでに如来が箇所箇所に宿り、


奇跡的な働きを積み重ねて、日々、生きているということ。






馴染みあるヨガのポーズを通して、


自己の身体に五智如来を配し、本来、宿り輝く如来に気付き、


浄め整えていく。






まだまだ学ぶことが多く、


私は私の身体と、まだこんなにも語り合えていないのだと気付かされます。






Gate    Gate    Para   Gate   




Parasan  Gatte   Bodhi  Svaha






まだこの身体を彼岸とすることができない私は、




何度もこの真言を唱えながら、




その意味するところに届く自分でありたいと思います。










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◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆
















2010年4月18日日曜日

〜 カルマという波紋 〜

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池などの波立っていない静まった水面に石を投げ込むと、波紋が広がり岸や岩などにあたり、その波紋は石が落ちた元の場所に帰ってくるのと同じように、この世ですべての人間の肉体的な行動や精神的な態度は、微妙な波動となって体の外側へと発していきます。
そして、それぞれの行いの波動は、宇宙全体に広がり、惑星に当たり、波動の発生源である魂のところへ返ってきます。このとき惑星がカルマを魂のところにはね返す反射体となっているため、
惑星は私たちの運命に影響を与える重要な役割を持っているのです。


私たちの思考と行動の波動が
宇宙と惑星へ向かうとき、
これをカルマ(行い)と呼びます。
そして、その波動が
自分自身のもとに返ってくるときを、
パッギャ(運命)と呼んでいます。


アチャーリャア・アマン著「運命好転の法則 」


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何の気なしに本屋さんで手に取った、「運命好転の法則 」という本は、


ハタヨガや、日頃考えていることへの多くの気付きを与えてくれる一冊となりました。




☆☆の法則、というタイトルが世に溢れ、少しお腹いっぱいでしたので、


なぜこの本を手に取ったのか自分でも判らず、パラパラと中を見るや釘付けでした。






カルマ、という言葉への世の中の認知度が上がり、


たくさんの解釈と投げかけが与えられるようになりました。


チベット仏教でも、業の因果応報を十二縁起や輪廻転生のプロセスにおいて、


さまざまに説いていますし、


日本も昔から、「お天道様が見ているよ、悪いことしたら返ってくるんだからね」


というようなことを、何となく耳にしたこともあると思います。






チベットハートヨガでも、まず最初に、「カルマのたまねぎ」というタイトルで、


カルマについて説き、内側からは慈悲に満ちた意図を持って、


外側への働きかけとしてヨガのアーサナを行うシリーズがあります。








善いことをしたら善いことが返ってきて、


悪いことをしたら悪いことが返ってくる。




この考えは、何となく気持ち的によくわかりますが、


どうしてそうなるのか、


「善い」「悪い」とは誰が決めるのか、


どこから「返って」くるのか、


明確な手触りのないままでいました。






数日前にこの「運命好転の法則」の本を手に取り、


著者を検索すると、なんと本日セミナーが有るとのこと。


良い流れの中で参加させて頂きました。






色々学びが深く、書きたいことが溢れてくるのですが、




すべては、自分自身の内側に生じる微細な意識、もしくは意図、


それらが生じた瞬間に、それはひとつの振動となって外側に発せられ、


それは瞬く間に空へと広がり、


遠くに感じる宇宙の惑星にまで伝わり、


その振動が、


自分自身に、やがて返ってくる。






だから「行為」の奥にある「意図」そのものの浄化が必要なのだと、


改めて納得をしました。






家族の為にお皿を洗う。


その行為はとても親切に見えます。


けれどもその内側で、


不平や不満、鬱屈した怒りを抱えていたならば、


その不平や不満はひとつのエネルギーとして、振動として、


瞬く間に宇宙に広がり、


あの美しく輝く惑星にまで届いてしまい、


惑星たちはそれらをあまねくキャッチして、


丁寧に、


元の場所へ放ち返す・・・






その撒いた種が、いつ、どのような形で結実するかはその人自身によりますが、


今、目の前のことは、


今までの自分が行動したこと以上に、


思念、想念として発生させたことの跳ね返りなのだと、


思わず空を見上げました。






宇宙、時間、光。


この3つを大いなる謎とし、


光(ジョーティ)を学ぶという意味を持つインドの占星術、ジョーティッシュのお話は、


またひとつ、自分自身が発する微細な意図や想念でさえ、


宇宙に瞬く間に広がっていく、というビジョンを明晰に与えてくれました。








そして、より細かく具体的に、


「業」というものをチベット仏教などは細かく説いてくれているのです。


アビダルマ論では、


「業は何かというと、
   思業(心に思うこと)と思己業(思ったことが外に現れたこと)である」


また倶舎論でも、


「業は思とそれにより造られたもの」


と説いてあります。






youtubeで流れていた、「引き寄せの法則」の映像。


まさに、あの勢いで、


あらゆる「思」が、


毎瞬、地球を駆け巡り、宇宙にまで広がって、


それらは丁寧に、私たちのところまで、返ってくるのです。






これを書いていたら、星新一氏の「おーいでてこーい」が浮かんできました。




ぽっかり開いた大きな底なしの穴。


世界中のゴミ、核兵器など、あらゆるものが投棄され、


やがてそれらが頭上から返ってくる・・・






私たちの内側は、


一瞬一瞬の意図は、


思念は、想念は、どこまでも浄らかだろうか。




太陽は、月は、星々は、常に、




鏡のように、私たちに返してきます。






美しい波紋を、どうぞ空になげてください。




出逢えた人と、


これから出逢う人と、


出逢わぬであろう遠い人と、




そして未来の自分のために。














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◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆
 

2010年4月17日土曜日

〜 師と向き合う為に 〜

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チベットの諺にあるとおりだ。

「グルは火のようなものだ。近づきすぎれば火傷をするし、遠すぎては暖まれない。」


このような求愛の情をもつのは弟子のほうだ。師を求めて近づきすぎ、火傷をする。すると何もかも捨てて逃げ出したくなる。


しかし、結局二人の関係は非常に充実した堅実なものとなってくる。
あなたにはグルに近づきたい欲求も、彼から逃げ出したい欲求も、自分自身のゲームにすぎないことがわかってくる。それは現実の状況とは何の関係もない、あなた自身の妄想にすぎないのだ。


グル、あるいは精神の友は、
つねにそこに燃えている。
それは消えることのない生命の火だ。
彼とゲームを演じるかいなかは、
あなたの選択にかかっている。




チョギャム・トゥルンパ著
「タントラへの道〜精神の物質主義を断ち切って」
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今日はチベットハートヨガのレッスンでした。


シリーズ5「グルの至福」


アーサナがメインのレッスンだったので、座学は少しでしたが、


「師」とは何か、


「師」に委ねるとは何か、


「師」から学ぶとはどういうことか、


その問いの本質として、「自我」をいかに手放すか、というところに触れていきます。






チベットの偉大な聖人の一人であり、偉大なヨーガ行者であったミラレパは、


母が願う復讐を実践して殺人を犯し、村の作物を枯らすなど罪を重ね、


そのような己から脱したいと、切実なる覚悟を持って、


聖人マルパに弟子入りを懇願し、教えを乞います。




マルパはミラレパに、不条理な難題を言い与えます。




家を建てることを命じ、建て終わるとその家を壊せと何度も繰り返し命じます。


家を建てる為に使用した石は、「景観を損ねないよう」元の位置に戻せとのこと。


教えを受ける事だけを支えにし、幾度も家を建てては壊し、


最後には9階建ての塔を、骨身を削って建てます。


しかしマルパは、


「たかが9階建ての塔を建てたぐらいで何を言う。


教えが欲しいならもっと献上品を持ってこい」と冷酷に言い放ちます。




日夜、家を建てる為だけに勤しんだミラレパには、差し出すものなど何もありません。


見かねたマルパの妻が、そっと大麦と反物をミラレパに差し出し、


ミラレパはその品物をマルパに献上品として差し出しました。


けれどもマルパは、その品に即座に気づき、


「これはもともと私のものだ!私を騙そうというのか大嘘つきめ!」と放り出しました。




ミラレパは絶望し、自殺を図り、今にも命を絶とうとした瞬間、マルパが現れ、


「お前には教えを受け入れる準備がやっとできた」と告げた、


という逸話が伝えられています。




師であるマルパも、


その師であるナーローパから同じように厳しい目にあっていたそうです。






先生と思う方から何かを学ぶとき、


自分自身の内側に、こんな「自我」の声が広がりませんか。




「この先生に気に入られたい」


「もっと私だけに教えてほしい」




恋に似た自我の声は、


「一生懸命」な姿勢へと押し進め、


自分の懸命な姿を認めてくれないとき、落胆と怒りに変化していきます。




そして、また新たな師を見つける旅に、


自分の努力を認め、自分だけに注意を注いでくれる師を探す旅を繰り返している…






あぁ、私はまさにそうであったし、今もそうではないのかと、自分に問います。




先生と向き合うとき、


自分の内側に少しでも「認めてほしい」という声が響いていないか、


今日のレッスンを終えて、改めて未熟である自分を見つけて身が縮む思いがします。






「わたし」という無意識の枠組みを手放さない限り、


本当の意味で、「学び」を得たということにはならないのだなぁと、


改めて気づかされた日です。




その「わたし」であるという自我を手放すことの難しさたるや。




肉体に厳しく試練を課すとき、


自我の声は小さく遠くなり、


「わたし」であるということすらも超える瞬間が訪れやすくなります。


走ったり、


山に登ったり、


何度も単調な作業を繰り返すことで、その瞬間を増やすことで、


「わたし」であることを手放すことを命じていたのだなと、


ミラレパの逸話から感じます。




私は、何を学ぼうとしているのか。




あらゆるものに、「認めてほしい」ということを求めていないか。




内側に、問いかけたいと思います。














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