2010年4月14日水曜日
~ 共通意識 ~
Photo by Gregory Colbert [ Ashes and Snow ]
アスファルトを、
チェーンソーで切っている音が響きます。
下水道管の取替えと、ガス管の取替えを、
20mほどの距離で行っているためです。
私は、その音を聴きながら考えます。
「かたい」であろうアスファルトを、なぜ「チェーンソー」が切れるのでしょうか。
「チェーンソー」は、「かたい」ものはなんでも切れるから、でしょうか。
「かたいアスファルト」を、「チェーンソー」なら「切れる」
その意思であり、意志であり、意図を、
チェーンソーを持つ人を含め、工事現場の人々や、
その工事音を聴くご近所の皆さまが、
共通して持っているからです。
チェーンソーでも、歯がたたないものもあります。
チェーンソーで、ザックリ切ることしかできない、と思う人もいれば、
チェーンソーで、ものすごく細かく芸術作品を創りあげる人もいます。
その差は、なんでしょうか。どこからくるものでしょうか。
「切る」とは、本当はどういうことなのでしょうか。
「アスファルト」と「チェーンソー」が触れるとき。
「アスファルト」と呼んでいるものを形作る、微細な微細な微細なものと、
「チェーンソー」と呼んでいる鋭利な歯を形作る、微細な微細な微細なものは、
本当に、「切り」わけあっているのでしょうか。
本当に?
包丁で、大根が切れると、私たちは知っています。
それは、「信じている」という方向ではないでしょうか。
割り箸の箸袋で、大根が切れることを、信じますか。
またそんなものを使わなくても、大根を切れることを、
信じることはできますか。
「空である」ということをどこまでも深く体観していたら、
可能なのだと思います。
そこらへんが、
水の上を歩く、ことや、
水をぶどう酒に変える、ことのヒントのような気もします。
アスファルトをチェーンソーで切る音を聴いていたら、
「あぁ、私はまだまだなのだなぁ」と思います。
ヘリコプターが、バタバタと鈍い音で、重そうに空を飛んでいるのを見たら、
「あぁ、まだ私の意識が低いのだなぁ」と思うのです。
ミツバチの羽は、
彼らの身体を支えて飛ぶには、薄くて小さすぎるそうです。
ではなぜ、ミツバチは「飛ぶ」のか。
それは彼らが、「飛べる」と思っているから。
あの躯体が空を飛ぶためには、
その「意図」の力が働いているからとしか、考えられないそうです。
「どこでもドア」を空想のものだと信じている人と、
「どこでもドア」に震撼し、あの「移動方法」はアリだと信じている人。
世の中には、
もうすでに想像を超えた「発明」が現実化されているそうです。
けれど、受け皿である私たちの「信じること」が追いつかないため、
既存権利で巨万の富を得ている人たちの反発があるため、
表に出てこないものが、数多くあるそうです。
もうそろそろ、
重くて遅い方法から、手を放してよいのではないでしょうか。
一緒に、手放していきませんか。
わたしは、手放したいと思います。
◇ 美しい波紋が広がりますように・・・感謝をこめて やんわりクリック◇
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