2010年4月23日金曜日

~ 掌にあるもの ~

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仏陀は、水を汲み上げるときに、

腕と手の精緻な動きをはっきり意識するようにと説いた。

このような修行は、行為の中に、

「いま」を見いだそうとするものだ。

そのためにそれはシャマタ、安らぎを育てることとして知られる。

その瞬間の現在性を真に見るとき、

開放と安らぎ以外のものがはいりこむ余地はない。


チョギャム・トゥルパ著 
「精神の物質主義を断ち切って~タントラへの道」

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photo by App [Backgrounds]












 小さな蝶の羽ばたきの振動が、


空を伝って広がっていき、


遠く離れた街に嵐をもたらす、という例えがあります。




バタフライ・エフェクト。




微細な微細な思念や想念でさえ、


またたく間に宇宙に広がり、


放った者へあまねく返ってくるということ。






そうであるなら、


よりよい思念や想念は、


放った者を中心として、


どこまでも美しく穏やかな波が、広がっていくということです。






瞑想、というほどではないのですが、


ひとつのビジュアライゼーションとして、


私が密かに行っているものがあります。






とっても簡単。






温泉や、心地よいお風呂につかるのをイメージします。




身体のすみずみまで、温かさと心地よさが沁み渡り、


手も足もうんと伸ばし、




「はぁぁ・・極楽、極楽・・・」




思わず、そう呟きます。




見上げた空は、青空でも、星空でも素敵。




湯けむりで、日頃の疲れや、愚痴や不満はゆるゆると溶けていき、


お湯の柔らかさが肌に心地よい・・・・






その感じ、




その心地よさをありありと、思い浮かべ、体中に広げたまま。


その心地よさのまま、




少し合掌をして、


ゆっくりと手のひらを離していき、


良いころ合いの距離になったら、




その手と手の間に、




【 地球 】




を、浮かべます。






「はぁ・・・極楽、極楽・・・・」




温泉につかり、


陳腐だけれどもこれ以上ぴったりの言葉はない、この、




「はぁ・・極楽、極楽・・・・」




と言いながら、


心地よさを、


手のひらの中の【地球】に、うんと注いであげます。






全身で、心地よさを味わい、


おもわずつぶやいた「極楽」は、


とてつもなく「リアリティ」のある、「極楽」となり。






宇宙に広がり、


また、つぶやいた人へ即座に返ってきます。






その心地よさを、


手の中の【地球】に、


たくさんの命を育む【水の塊である星】に、


よくよく響かせて、


心地よさを響かせて、




枯れかけた植物をいたわるように、


傷ついた子猫や子犬や小鳥を手の中で、そっと愛おしむように、




【地球】に、


手のひらの中で、心地よさを注いであげるのです。




温泉につかったときの心地よさをありありと満たして、




【極楽】   




と、つぶやくとき。






それは、地球そのものが、【極楽】であり、


その手で小さな地球を慈しむ眼差しは、


観音さまや、仏さまや、そういった大きな人たちの、


まなざしに、近いような気が、おこがましくもするのです。






ありありと、


すみずみまで、


温泉につかった心地よさで自分を満たして、つぶやいてみる。






【極楽、極楽】






もうその瞬間、あちこちで、


この世は極楽に様変わりです。





 極楽を紡ぐことができるみなさまに、


素敵な夜を。








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