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仏陀は、水を汲み上げるときに、
腕と手の精緻な動きをはっきり意識するようにと説いた。
このような修行は、行為の中に、
「いま」を見いだそうとするものだ。
そのためにそれはシャマタ、安らぎを育てることとして知られる。
その瞬間の現在性を真に見るとき、
開放と安らぎ以外のものがはいりこむ余地はない。
チョギャム・トゥルパ著
「精神の物質主義を断ち切って~タントラへの道」
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小さな蝶の羽ばたきの振動が、
空を伝って広がっていき、
遠く離れた街に嵐をもたらす、という例えがあります。
バタフライ・エフェクト。
微細な微細な思念や想念でさえ、
またたく間に宇宙に広がり、
放った者へあまねく返ってくるということ。
そうであるなら、
よりよい思念や想念は、
放った者を中心として、
どこまでも美しく穏やかな波が、広がっていくということです。
瞑想、というほどではないのですが、
ひとつのビジュアライゼーションとして、
私が密かに行っているものがあります。
とっても簡単。
温泉や、心地よいお風呂につかるのをイメージします。
身体のすみずみまで、温かさと心地よさが沁み渡り、
手も足もうんと伸ばし、
「はぁぁ・・極楽、極楽・・・」
思わず、そう呟きます。
見上げた空は、青空でも、星空でも素敵。
湯けむりで、日頃の疲れや、愚痴や不満はゆるゆると溶けていき、
お湯の柔らかさが肌に心地よい・・・・
その感じ、
その心地よさをありありと、思い浮かべ、体中に広げたまま。
その心地よさのまま、
少し合掌をして、
ゆっくりと手のひらを離していき、
良いころ合いの距離になったら、
その手と手の間に、
【 地球 】
を、浮かべます。
「はぁ・・・極楽、極楽・・・・」
温泉につかり、
陳腐だけれどもこれ以上ぴったりの言葉はない、この、
「はぁ・・極楽、極楽・・・・」
と言いながら、
心地よさを、
手のひらの中の【地球】に、うんと注いであげます。
全身で、心地よさを味わい、
おもわずつぶやいた「極楽」は、
とてつもなく「リアリティ」のある、「極楽」となり。
宇宙に広がり、
また、つぶやいた人へ即座に返ってきます。
その心地よさを、
手の中の【地球】に、
たくさんの命を育む【水の塊である星】に、
よくよく響かせて、
心地よさを響かせて、
枯れかけた植物をいたわるように、
傷ついた子猫や子犬や小鳥を手の中で、そっと愛おしむように、
【地球】に、
手のひらの中で、心地よさを注いであげるのです。
温泉につかったときの心地よさをありありと満たして、
【極楽】
と、つぶやくとき。
それは、地球そのものが、【極楽】であり、
その手で小さな地球を慈しむ眼差しは、
観音さまや、仏さまや、そういった大きな人たちの、
まなざしに、近いような気が、おこがましくもするのです。
ありありと、
すみずみまで、
温泉につかった心地よさで自分を満たして、つぶやいてみる。
【極楽、極楽】
もうその瞬間、あちこちで、
この世は極楽に様変わりです。
極楽を紡ぐことができるみなさまに、
素敵な夜を。
◇ 美しい波紋が広がりますように・・・感謝をこめてやんわりクリック◇
◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆
日本赤十字:中国青海省地震被害の救援金受付
2010年4月23日金曜日
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