意(こころ)が休まり、
身体の束縛が解けたとき、
本有の一味があふれ出るとき、
そこにはシュードラもバラモンも存在しない。
ここ(身体)に聖なるヤムナーがあり、
ここに聖なるガンガーがある。
ここにプラヤーガとベナレスがあり、
ここに月と太陽がある。
こは我が放浪の地、遊行の寺、
私はここに巡礼している。
この身体ほど祝福された霊場を、
私はかつて見たことがない。
テリー・クリフォード著「チベットの精神医学」
〜 sarahaの詩より 〜
---------------------------------------------------
photo by App [Backgrounds]
今日はチベットハートヨガのシリーズ7、煩悩を滅する、というテーマで、
レッスンを行っていただきました。
チベット医学の大きな主軸のひとつに、
身体の中を通る、3本の大きな脈管の存在があります。
アーユルヴェーダの流れを汲むので、重なる部分が多いのですが、
体内に無数の、その数7万2千もの霊的脈管が走っていると考えられています。
中央に走る脈管をチベット語でウマ(dbu-ma)
右の脈管をロマ(ro-ma)
左の脈管をキャンマ(rkyang-ma)といい、
中央の脈管に、左右の脈管が絡み付いているポイントをチャクラ、と捉えています。
右の脈管は熱く、太陽であり、その脈管にプラーナが流れ込むと、怒りが
左の脈管は冷たく、月であり、その脈管にプラーナが流れ込むと、妬みが生じます。
ヨガを行うことは、3つの経路を制御し、
【智慧の脈管】とも呼ばれる中央の脈管にプラーナを流し、
空性(シューニャター)を直観する、ということを目指すことが根本にあります。
今日のシリーズは、
自分の内側に五智如来を配し、
(大日如来/阿弥陀如来/宝来如来/不空成就如来/阿しゅく如来)
その位置の応じたアーサナを通して自分自身を見つめていきます。
色々なポーズがあるのですが、
身体をひねるポーズは、左右の脈管を刺激して、
とくに妬みを洗い流すというイメージがあります。
日頃から、なかなかひねるポーズは行わないので、
少し憤りやわだかまり、妬みが生じたときは、
左右の脈管にエネルギーがかたより過ぎていると捉え、
身体をひねるポーズをとると、左右のエネルギーが流れて行きます。
それぞれの如来は、煩悩や、五大元素にも対応があり、
内分泌線にも当てはめられていたりと、
とても奥深いのがチベット医学です。
レッスンの最後に、masaさんが、
「流派を超えて、自分だけのヨガをみつけること」
「自分だけの曼荼羅を、この身体に作ること」
そんな言葉を投げかけてくださいました。
絶対的な智である、大日如来の法界体性智。
正しく区別する智である、阿弥陀如来の妙観察智。
鏡のように命を映す智である、阿しゅく如来の大円境智。
平等化する智である、宝来如来の平等性智。
一切の事業を完成させる智である、不空成就如来の成所作智。
私たちの身体には、すでに如来が箇所箇所に宿り、
奇跡的な働きを積み重ねて、日々、生きているということ。
馴染みあるヨガのポーズを通して、
自己の身体に五智如来を配し、本来、宿り輝く如来に気付き、
浄め整えていく。
まだまだ学ぶことが多く、
私は私の身体と、まだこんなにも語り合えていないのだと気付かされます。
Gate Gate Para Gate
Parasan Gatte Bodhi Svaha
まだこの身体を彼岸とすることができない私は、
何度もこの真言を唱えながら、
その意味するところに届く自分でありたいと思います。
◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆