2010年5月4日火曜日

〜 執着を口にする 〜

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命あるものによって行為がなされると


それは心に「潜在力」(習気)あるいは


「その行為が過去のものとなった状態」
(行為の消滅した状態)を生じます。


この「潜在力」ないし


「その行為が過去ものとなった状態」は、


その結果を生じるまでは消滅することなく


潜在的に存続しつづけるものなのです。


ダライラマ14世著「ダライラマの仏教入門」


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GWのチベット語集中講座にて、




今日はあたたかなお心遣いを頂き、




本日の授業が終わってから、




チベットの餃子であるmomoを作って、パーティーを催してくださいました。






お皿に山のように盛られた、蒸したてのmomo。




最後のひとつを、さぁどうぞと譲りあうのが始まったとき、




おもしろいお話を聞かせて下さいました。








日本では、「残りものには福がある」と言いますが、




チベットでは、「残りものには毒がある」と言うそうです。






なぜか。






その最後のひとつには、




その場にいた人たちのさまざまな「執着」が注がれているので、




それを食べるのは、そういった「毒」を食べることになるからだ、




そんなお話を聞かせていただきました。






譲る、譲らない、その線上に立つとき、




色合いの濃さは違えど生じる「執着」を、見つめていることに、




改めて、土台の違いを感じる夜となりました。






ユーモア溢れる風刺の効いたお話もたくさんあり、




お腹も心もたっぷりと満ちる時間となりました。






集中講座もあと二日。




良い種をまき、良い景色が結実するよう、学びを深めたいと思います。













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◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆






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