命あるものによって行為がなされると
それは心に「潜在力」(習気)あるいは
「その行為が過去のものとなった状態」
(行為の消滅した状態)を生じます。
この「潜在力」ないし
「その行為が過去ものとなった状態」は、
その結果を生じるまでは消滅することなく
潜在的に存続しつづけるものなのです。
ダライラマ14世著「ダライラマの仏教入門」
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GWのチベット語集中講座にて、
今日はあたたかなお心遣いを頂き、
本日の授業が終わってから、
チベットの餃子であるmomoを作って、パーティーを催してくださいました。
お皿に山のように盛られた、蒸したてのmomo。
最後のひとつを、さぁどうぞと譲りあうのが始まったとき、
おもしろいお話を聞かせて下さいました。
日本では、「残りものには福がある」と言いますが、
チベットでは、「残りものには毒がある」と言うそうです。
なぜか。
その最後のひとつには、
その場にいた人たちのさまざまな「執着」が注がれているので、
それを食べるのは、そういった「毒」を食べることになるからだ、
そんなお話を聞かせていただきました。
譲る、譲らない、その線上に立つとき、
色合いの濃さは違えど生じる「執着」を、見つめていることに、
改めて、土台の違いを感じる夜となりました。
ユーモア溢れる風刺の効いたお話もたくさんあり、
お腹も心もたっぷりと満ちる時間となりました。
集中講座もあと二日。
良い種をまき、良い景色が結実するよう、学びを深めたいと思います。
◆チベット玉樹大地震の被災者の方々に、平穏な日々がもたらされますように◆
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